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風の記憶風の記憶 外伝
進むべき未来

後編

作者 クレヴァーさん



「はぁぁ!」

 ほぼ全力に近い重力波を胸部に叩き込まれた獣が通路の壁に叩きつけられたが、打ち終えた瞬間を狙ってもう一頭の獣が背後から襲いかかってくる。この獣を咲耶は振り向きもせずに右足に重力波を生み出し、左足を軸にした後ろ回し蹴りを背後からくる獣の頭部に直撃させた。
 先程と同じように壁に叩きつけられた獣に一瞥もくれず、通路を真っ直ぐに突き進む。今ので仕留めたと思ったが、背後から轟音を上げながらこちらに向かってくる二つ以上の足音を聞き、咲耶は思わず舌打ちした。

(ここを壊す覚悟で力を使ってもいいけど、まだ使うべきじゃないか……)

 倒すだけならば全力を出せば容易い事だが、二階層に上がった瞬間に先程戦っていた獣と遭遇した事を考えるとここの獣が総計で三頭だけとは考えられない。ここで力を使いすぎるのは得策とは言えなかった。
 背後の獣を無視して突き進むと、通路の先にホールらしき物が見えてきた。よく見ると上へと登る階段もある。咲耶は迷わずそこに向かってペースを上げた。
 ホールに入った瞬間、安心する間もなく咲耶の足元に巨大な影が差し込んでくる。すぐに上を見上げると、爪を振り上げてこちらに落ちてくる獣が目に入ってきた。咄嗟に左腕で外套を持ち上げて、爪を受け止める。左腕に衝撃が走り顔をしかめるが、痛みを堪えて右拳に重力波を発生させる。一方、両の後ろ足を床に付けた獣は外套ごと咲耶の左腕を爪で切り裂こうとするが、防刃処理を施してある外套を切り裂く事ができずにいた。

「いつまで掴んでるのよ!」

 それをうっとおしく思った咲耶の怒りの鉄拳が獣の腹部へと叩き込まれる。その瞬間獣の全身から力が抜け、左腕に引っ掛けられていた爪が離れた。そして獣の頭を踏み台にして、咲耶は横の階段へと飛び移った。下を見ると頭を踏みつけられて呻いている獣の横に、先程壁に叩きつけた二頭の獣が合流したが、咲耶にとっては都合がいい。
 左足を思いっきり踏み込み、上へと大きく飛び上がる。そして右拳からはこれまで以上の――全力を込めた重力波が生み出されていた。これに気づいて動き出そうとした獣達だが既に遅い。

「グラビトン・マグナム!」

 全てを押しつぶす重力波が咲耶の右拳から放たれ、三頭の獣へと向かっていく。通常時を凌駕する重力波が均等にに獣達を床へとめり込ませる。しかし獣達もただやられるのを待つのではなく、必死に起き上がろうとするがその抵抗むなしくその体を床へと沈ませる。
 咲耶が床に降り立つ寸前に重力波を解除した時には獣達の全身の骨は粉々に砕かれ、自らの力で立つ事すらできなかった。短時間重力波を当てた程度で死ぬ事はないが、これで追撃される事もなくなった。
 その様子を確認した咲耶は軽く呼吸を整え、改めて階段を登り始めた。

(これまで相対したのは全て超獣の出来損ないと呼ばれている奴だけ……完成体とは一度も戦ってないわね)

 これまで襲い掛かってきた獣以上の力を兼ね備え、人の意思を宿した超獣がもしこの研究所にいるのだとしたら、すぐにでも使ってくる筈。それが出てこないのはまだ完成していないのかもしれないが、憶測の域を出ることはない。
 二段ずつ段を飛ばして一気に階段を登り、三階のホールに辿りつくが、すぐには獣は襲って来なかった。
 万が一犯人がいようといまいとそんな事は関係ない。その真実は三階、この研究所で調べていない最後の個所ではっきりするのだから。
 獣の奇襲を警戒しながら通路を進むと、案の定と言うべきか、天井の通風孔に潜んでいた獣が天井の一部を破壊して襲い掛かってきた。獣にとっては完全に殺ったと思ったのだろうが、咲耶にとってそれは奇襲でもなんでもない、既に予測していた事だった。
 獣の爪が咲耶の頭を砕こうと振り下ろした瞬間、予め右拳に生み出しておいた重力波で爪を砕き、続けて右のハイキックで獣の頭を打ち抜いた。打ち所が悪ければ殺せる一撃だが、壁に叩きつけられた獣はふら付きながらも起き上がってきた。だが獣が体制を崩している間に咲耶の右正拳が頭部に叩き込まれ、完全に獣の意識を刈り取った。
 獣の生死を確認せずに先に進み出した咲耶だが、その歩みが突然止まった。今は使われていないはずの、恐らくは職員呼び出し用のスピーカーから微かだが音が聞こえたのだ。空耳かとも思ったが、次の瞬間それが空耳で無い事がはっきりとした。

『いやいや、流石はと言うべきでしょうか』

 天井のスピーカーから聞こえてくるのはまったく聞き覚えの無い男の声。だが閉鎖されたこの施設にいると言う事はここの生存者なのだろうが、その口調は明らかに助けを求める物ではなく相手を品定めしているような喋り方なのが気にかかった。

(さっきまでの戦いを見てたって事は、少なくともここに連行された人間じゃないわね)

 捕らえられた人間が救助に来た人間を襲うような真似をするだろうか? 可能性は零では無いだろうが、この状況を考えるとその可能性は無い。捕まった人間に出来損ないとはいえ超獣を従える術を持つ筈が無い。解き放った瞬間に食われるのがオチだ。
 そしてこの時点で先程立てた仮説の一つ、獣自らが檻を破壊して外に出た可能性も無くなった。そうするとおのずと答えは出た。

『あの獣は並の師兵では手も足もでないのですが、流石は元巫女の護衛役といった所でしょうか』
「素直にありがとうとでも言ってあげましょうか? 顔が見えてたらモニター越しでも拳をお見舞いしてるでしょうけど」
『怖い怖い』

 どこかおどけたような、生理的にいらつく下卑た笑い声。もし目の前に本人が立っていたら先の言葉通り、それも能力全開での最大級の鉄拳をお見舞いしているだろう。
 男の方はそんな咲耶の苛立ちに気づいているのかいないのか、続きを発してきた。

『一度公司のデータベースからあなたの資料を拝見させていただいた事があるんですよ。希少種である重力の能力使い。身体能力も相応に高く、超獣の実験台に用いたとしたら秋絃様以上の結果を出せる逸材だったのに。逃亡なんて馬鹿な真似をしてくれた時は私も愕然しましたよ」
「あらそう。じゃあ逃げた事は四葉だけじゃなくて私にとっても好都合だった訳ね」

 当時の咲耶は超獣の存在を知らなかったが、その話が本当ならばその頃からこの身が狙われていたという事だろう。もっとも、過去だろうと今だろうとそんな実験をやらされるような事になったら迷わずに関連施設全てを破壊していただろうが。

「で、私が素直に実験に協力するとでも思ってるのかしら?」
『まさか。実験に使われた人間の全てが最後まで抵抗していたのに、素直に受けてもらえるとは思ってもいませんよ。ですから、他の方々同様に抵抗できないようにしてから協力して頂きます。欲しいのはその体だけですし』

 調子に乗って饒舌に語る男だったが、最後の一言がまずかった。
 急に険しい、というより殺意すら込めた目つきになった咲耶が怒りを少しでも発散させるように右拳に重力波を生み出し、近くの壁に思いっきり叩き込んだ。怒りに呼応しているのか、壁は深く抉れ、巨大なへこみを作り出した。
 最後の一言で今まで抑えていた咲耶の怒りが完全に爆発したのだ。
 男の顔こそ見てはいないが、男は咲耶のもっとも嫌いなタイプだった。その事も怒りの要因ではあるが、キレたのは他にも理由があった。
 人を実験台としか見ていない暴言の数々。そしてこんな男にずっと見られていたのかと思うと寒気すら覚える事。とどめとばかりに勝手に人の体を弄ぼうと画策している。ここまで要因があればすぐキレなかった事が奇跡と言える。
 役に立つ情報でも漏らさないかと会話をしていたが、こんな事ならすぐにでもスピーカーを破壊してやればよかったと今は後悔している。だが今の一撃で壊さなかったのには一応理由があった。

「……ふざけんじゃないわよ。私の体に触れていいのはお兄様だけなのよ! それをあんたなんかに汚される理由なんかないわよ! 待ってなさい、今すぐそっちまで行ってこんな実験を続けてた事と生きてた事を後悔させてあげるわ!」

 そこまで言い切り、これ以上話すべき事は無いとばかりに相手に重力波でスピーカーを破壊し、一気に走り出した。
 その後の咲耶の行動は凄まじい物で、通路を駆けながら部屋の扉を開けて一通り見渡したかと思ったらそれ以上は調べずにさっさと次の部屋へと向かっていく。
その間にも二,三ほど獣の奇襲はあったのだが、咲耶の前に姿を現した途端に全力の重力波を込めた拳の一撃で戦闘不能に叩き落した。その様はまさに怒れる鬼神――いや、怒れる女帝と言った方が正しいだろう。
 そして咲耶がある部屋の扉を開け、その中に誰もいなければすぐに次に行こうとしていたのだが、その必要はたった今無くなった。

「ようやく見つけたわよ」

 中身の入っていない大量の培養漕が置かれた部屋の中にいたのは白衣を纏った長身の男。顔の方は不細工な顔を想像していたのだが、意外と端正な顔つきで見るからに優秀な科学者と言った雰囲気がある。もっとも今こちらを見ている眼は驚いた様子はなく、狂ったような目つきをしていた。

「ようやく到着しましたか。意外と遅かったですね」
「いる場所の検討がつかないから、見つけた部屋を片っ端から調べてたのよ。けど、これであんたを殴れるわね」

 ほとんど死刑宣告に等しい咲耶の言葉だったが、その言葉に怯えるどころか、男は不気味に笑い出した。思わず一歩後ずさるが、それはあまりの不気味さについ引いてしまっただけだ。格闘戦に持ち込めば確実に勝つ自信はある。

「私が素直に殴られてあげるとでも思いましたか? まだ私には抵抗する手段は残っているんですよ」

 そう言った男の背後の培養漕の影から二頭の獣が姿を現した。やはり咲耶の読み通り、この男が獣達を製造、制御していたのだろう。
 主の命令を待たずして二頭の獣が同時に襲い掛かってくるが、右の獣を右拳で叩き伏せ、そして拳を引き右のハイキックで左から来る獣を壁に叩きこむ。どちらも全力での一撃を当てた為か、立ち上がって来る事はなかった。

「今更こんな雑魚で、本気の私に勝てるとでも思ったのかしら?」
「……大した威力だ。正直女性にしておくのがもったいない」
「それは喧嘩を売ってると取っていいわね……!」

 呆れたような男の言動に、咲耶はこめかみに小さな青筋を浮かべて両の拳に重力波を生み出した。当てるつもりはないが、これで降伏しないようならば先の公言通り、この男には生きてきた事を後悔するくらいのダメージを与えるつもりだ。
 だが男は眉一つ動かさず、懐から何かの液体が満たされた注射器を取り出した。

「本当ならあなたに射ち込んで反応を見たかったんですけど、こうなっては仕方ないですね」
「何よそれ?」
「複数の獣の細胞を採取して合成させた特殊細胞ですよ。これを射ち込まれた人間は瞬時に細胞の七割を打ち込んだ細胞が食らい、その細胞が乗っ取るというものです。人間の意識を保ったままでね」
「まさか……!」

 自分の研究成果を語る男の説明に咲耶はある事に気がついた。今の説明は科学的な要因が入っているにしろ、理屈は超獣の獣化と同じなのだ。
 即座に注射器を奪い取ろうと駆け出しかけたが、男は注射器を首筋に突き立て親指でピストンを押した。

「くっくっく……ぐっ……がぁぁぁぁ!!」

 ゆっくりと注入される細胞を見ながら不気味に笑っていた男の表情が突然苦悶に変わり、両手で胸を抑えて蹲った。そして、男の体つきが少しずつ大きくなり始めて、纏っていた白衣を破れる程にまで成長した。何も纏っていない上半身は腕や胸の体毛が異様に増え、先程まで細い腕だった腕も今は丸太の様に太く力強い物になっていた。下半身の筋肉もそれに比例して巨大になっている。
 射ち込んだ細胞の処理が終了したのか、そこまで成長した男からは苦痛の声は上がらなくなっていた。そして俯いていた男がゆっくりと顔を上げて、咲耶は小さくだが驚きの声を出してしまった。
 その顔は先程までの端正な顔立ちなど微塵も感じさせないようなワイルドな風貌へと変化してしまっていたのだ。さっきまで本気で殴れば骨が粉々になりそうな弱々しい感じから、簡単に倒れそうにない巨漢になってしまったのだから驚くなというのが無理だろう。

「おやおや。修羅場をくぐって来た割に女性らしい一面もあるのですね」
「……よく聞こえる耳だこと」

 迂闊にも漏らした叫びを上げた事を指摘され、仲間どころか兄にさえ聞かれた事のない声をこんな奴に聞かれた事に内心苛立った。

「さて、どうやら実験は成功のようですね」
「随分逞しくなったじゃないの。それで外に出たらみんな引くわよ」
「この姿の価値が分からないとは愚かしいですね。もっとも、後であなたもこの姿にして差し上げれば理解できるでしょう」
「絶対にお断りよ!」

 これ以上この狂人と語る事は無い。捕まっているかもしれない人間の所在地は無理に聞き出すよりも自分で探した方が効率がいいと咲耶は判断していた。
 先程から発生させていた両手の重力波を左、右と時間差で放ち、自らも男――いや、超獣へと近づいていく。
 だが超獣はその重力場を飛んでかわし、一つの培養漕の上へと降りた。すぐに咲耶も追って超獣へと向かって飛び、重力波を右拳に発生させて打ち込むが、これもかわされてしまう。放たれた拳はそのままの勢いで培養漕を破壊して中に溜まっていた液体を床にぶちまけた。
 超獣が液体がぶちまけられた床に降りた瞬間、爪を突き出して勢いよくこちらに突っ込んでくる。咄嗟に重力波を生み出し爪を受け止める。
 先の獣達達以上の力で突き出された爪に多少押されるが、この一撃を受け流して右のミドルキックを繰り出す。しかしこの一撃を超獣は再び培養漕に飛びのってかわした。 
 今の一撃は獣ならば倒せなくともダメージを与えられたのだが、今戦っている超獣はただ押すだけではなく引く事も知っている。能力者でもないただの人間でさえこれほどの力を得られる上に、判断する思考が備わっていては楽に倒せる相手ではないだろう。

「超獣ってそんな簡単になれるもんだったの?」
「苦労しましたよ。この薬を作るために捕らえておいた実験台を全て使う羽目になったんですから」
「……そう」

 返答は低く、鋭さを秘めた声で返した。恐らくはその実験台とはここまで戦ってきた獣達なのだろう。そう考えると戦ってしまった事を獣達に謝罪したいがそれは今すべき事ではない。
 
(あいつは絶対に許さない。けど、ただ拳を食らわせるにしても今のままじゃ捉えきれないか……)

 そう考えているうちに超獣が培養漕から飛び降り、そのままこちらに向かってきた。連続して突き出される爪を両拳に生み出した重力波で受けながら、時に繰り出される牙の攻撃をかわす。右の爪を払い、左の拳を腹へと向けて叩き込もうとするが、拳を引いた一瞬の隙をついて超獣は後ろへ逃げた。放った左拳を止めて構えを取り直す。
 再び重力波を両拳に生み出したが、その時異変が起こった。咲耶の視界が突然歪んだ様にふらつきだしたのだ。

(ミスった……!? ここに来るまでに力を使いすぎるなんて!)

 ある程度威力を抑えていた二階までのペースでならばまだ睡魔は襲ってはこない。だが三階に入ってからは半ば怒り任せに来る敵全てを全力で薙ぎ倒してきたのだ。体力はともかく精神力の消耗が激しすぎた。
 超獣の方を見るとまるでしてやったりと言った風に奇妙な笑みを浮かべている。恐らく先ほどの咲耶をキレさせるような言動はわざと怒らせるための挑発だったのだろう。

「地下世界の猛者に数えられいても所詮は人の子という所ですか。それが人の身での限界ですよ」
「だけど、あんただってそれは同じでしょ」
「違いますね! 私は既に人を超越した存在なのです! あなたのような感情だけで動く人間に劣っている訳がないでしょう!」

 既に勝利を確信したつもりなのか、高らかに叫んだ超獣の目は咲耶を嘲け笑っていた。その目に怒りを覚えつつも、これ以上の精神消費を避けるためにあえて怒りを抑制した。だが抑えたとはいえそのまま黙っていられるわけが無かった。

「あんたは人を超えてなんかいない。ただ、他から手に入れた力を無理矢理自分の物にしただけの欲深いただの人間よ!」
「負け犬の遠吠えとはいえ、そこまで言われると多少怒りを覚えますね……いいでしょう。生かしておくつもりでしたが、死んでもらうことにしましょう。実験は体だけあれば十分ですし」

 初めから生かすつもりが無かったくせに、と咲耶は内心ポツリと呟いた。
 そもそも実験台にされてしまった時点で人としては死んだも同然。つまりここでの敗北は死と同義である。それを今更捕獲から殺傷に変えた所で咲耶にとっては大差は無い。

(五発もてば良い方だけど、一撃で仕留めるつもりで打たないと後が無いか……)

 そして何を思ったのか、咲耶は纏っていた外套を外し、地面に置いた。今まで獣達の攻撃を防げた外套を置くという事は必然的に今後の防御は重力波か自らの腕だけとなる。だが腕での防御など超獣相手には自殺行為でしかない。重力波にしても回数が限られている状況では多様する事は難しいだろう。

「死ぬ決心でもつきましたか?」
「ついたわよ。けど、それはあんたを倒す覚悟だから」

 その言葉をただの強がりとでもとったのか、超獣は両足を床に踏み込み、勢いをつけるために腰を絞る。だが咲耶は逃げようともせずに右正拳を腰だめに構えていた。この場で超獣を倒さない限りは退路は塞がれているも同然なのだ。ならばすべき事は一つ。眼前の敵を打ち抜き、活路を作り出す事を選んだのだ。
 全身を弓のように引き絞り終えた超獣が矢の如き速さで咲耶へと突進した。十分引き絞っただけあって逃げ回っていた以上の速さを供えている。ただの師兵でならば反応する事は難しいだろう。
 勝利を確信したように目を輝かせる超獣だったが、たった二つだけミスがあった。
 第一に、今相対しているのはただの師兵ではなく、公司を打ち倒した戦士の一人であった事。そしてもう一つの致命的なミスは――

(結構速い方だけど……私でも捉えられる程度じゃ全然駄目ね)

 超獣へと変化した男自身の戦闘経験の無さである。
 どれほど凄まじい運動能力であろうと、使い手が三流以下ならば所詮は宝の持ち腐れ。逃げ回るだけならば捉えずらかったが、正面から突っ込んでくるだけならば、咲耶の眼はその姿を完全に捉えられた。
 超獣の爪の攻撃をしゃがみこんでかわし、先程床に置いた外套を左手に取り、追撃の爪を上に跳んでかわした。空中で無防備になった咲耶に噛み付こうと超獣が口を広げて顔を突き出してきたが、咲耶とてただ食われるつもりは無かった。
 その瞬間、咲耶は左手に持った外套を超獣の顔めがけて叩きつけるように投げつける。外套の向こう側で驚きで眼を丸くした超獣の顔が見えたが、その顔は外套に覆われてすぐに見えなくなった。
 意外な攻撃に慌てて外套を取ろうとする超獣だが、両手の鋭い爪は斬撃等に特化しすぎた為か顔に引っ付いている外套を剥がす作業には向いてはいなかった。急いで爪を元に戻し右手で外套を引き剥がした男だが、既に咲耶は両の拳に重力波を生み出した状態で懐に入っていた。

「グラビティインパクト!」

 相手を殺す気で打ち放たれた右拳が超獣の腹を完全に捉えた。ごふっとくぐもった悲鳴が聞こえてくるが、そんな物で手心を加えるつもりは無い。右拳を引いた瞬間に腹を殴られて下がってきた顎目掛けて左アッパーを叩き込み、超獣の体をのけぞった体制で浮き上がらせる。更に自身も飛び上がり、重力波を発生させた右膝で背骨を打ち抜き、同時に右肘も胸板に叩き込んだ。
 もはや悲鳴すら上げられずに床に落ちるのを待つだけとなった超獣だが、それすらも咲耶は許すつもりは無かった。右の拳に再び重力波を生み出しすが、その規模は怒りに左右されたか半端な物では済まなかった。異常な重力変動に周囲の空間すら歪んで見える事が、拳に込められた力の質を物語っている。

「これで、終わりよ!」

 止めの宣告と共に超獣の顔面めがけて、超重力波と呼ぶべき右拳の一撃が叩き込まれた。その一撃は顔の骨を砕くような凄まじい音を奏でて床に叩きつけたが、その程度では納まらなかった。
 床に巨大なヒビが入ったかと思った途端、床が破壊され下の階層へと落ちていく。拳の勢いは床一枚を打ち抜いた程度で落ちる事はなく、一気に二階の床すらも打ち砕く。そして一階の床に落ち、巨大なヒビを作り出してようやく止まった。

「これだけ叩き込めば再生も間に合わないでしょ」

 能力完全開放状態による休む暇すら与えない五連撃、『グラビティレイブ』と呼ぶべき連撃を食らっては流石の超獣といえども再生は容易くなく、全身を破壊されるしか無かった。
 ふらつく頭を押さえながら何とか立ち上がった咲耶は振り返って床に伸びている超獣を見た。咲耶が拳を当てた所だけが異様に陥没し、特に最後の一撃が入った顔面は顔が陥没しすぎて原型を留めてはいなかった。再生どころか既に生命活動が止まっていてもおかしくない程だったが、耳を澄ましてみると微かにだが自分以外の呼吸音が聞こえてくるということは、一応生きているのだろう。

「あらあら、自慢の体のおかげで助かったみたいね」
「……」

 多少呆れた様に言った咲耶だが、その言葉に反応したように超獣が何か呟いたように聞こえた。何を言っているのかを聞き取ろうとしゃがみ込んで耳を澄ましてその言葉を聞いた。

「こ、ころさ……ないで……」
「……ふざけてんじゃないわよ。あんたはそう言って手を差し伸べた人間にどんな事をした?」
 
 この期に及んで命乞いをする超獣に怒りを通り越して心底呆れ果てた。
 数多の命を弄び、救いを求める手すらあっさりと見捨て、ただ己の欲望だけに忠実な男の末路とはここまで哀れな物なのかと。

「助けるつもりは無いけど、しばらくしたらここの施設を調べにくる調査隊が来るわ。なんならその人達に命乞いでもしてみたら? 良い人なら助けてくれるわよ」

 そう言って咲耶は施設の出口へと向かって足を進めた。その足元は能力を限界近く使った為に相当ふらついていて危なっかしい。どの道超獣にとどめを刺そうとしても、その拳に重力波を発生させられないのでは無理な話であったのだ。超獣がその事に気づいたとしても、抵抗する力はもはや無いと先の言葉で咲耶は判断していた。後の裁断は耕介達が下してくれるだろう。そう思っている咲耶の表情は先程までの死闘など微塵に感じさせないほどに晴れやかだった。

 それからしばらくした後、調査団が到着し、研究所内の本格的な調査が開始される事となった。残念な事に人が居た形跡は見受けられたが、人一人残ってはいなかった。居たのは自我を失わされ、命令される体にされた獣達と、再生すらされない程に体組織を粉砕された愚かな超獣だけだったのだ。
 先んじて調査を行っていた咲耶はといえば体力切れを起こし、研究所の近くに止めてあったジープの中で眠っていた事に、耕介を含めた調査団員全員が軽く失笑してしまった。

「まぁ大雑把な報告だとそんな所だな」
「……分かった。今度は詳細が書かれた報告書を、咲耶が提出する事を期待しておこう」

 執務室で耕介が書いた、昨日行われた研究所調査の報告書を読んでこめかみに青筋を浮かべている勢火が念を押すように耕介に言った。時々大雑把な行動を取る耕介でも報告書くらいはまじめに書くと思っていたのだが、大雑把どころか簡潔に結果を述べてあるだけで、中で何があったのかが全然書かれていないのには、いくら戦友とはいえ怒りの一つも覚えたくなった。
 詳細を知る咲耶は未だに自宅のベッドで睡眠を取っているから、報告を聞けるのは明日以降だろう。

「し、しょうがないだろうが。中で何があったのか俺達は知らないんだし」
「だが資料は残されていたのだろう?」
「それがな、研究所にあるデータにロックが掛けられてて、解除しないと資料が読めないみたいなんだよ」
「報告書に研究内容が書かれていないのはそういう事か。分かった、解除できる人間を早急に向かわせる」

 もっとも資料を読まずとも中でどんな事が行われていたのかは二人にはおおよその見当はついていた。今や生み出す事を禁忌とされた超獣がいたという事は、超獣の製造実験が行われていた事は容易に想像がつく。

「今回捕えた男だが、公司のデータベースに超獣になる前の顔が残っていた。元は公司の能力研究員だったが、後に超獣研究に駆り出されスタッフチーフにまで昇進。数多くの実験を繰り返して超獣研究を完璧な物に仕上げようとしたが、公司崩壊後に行方をくらましていたそうだ」
「大方公司が無くなったから好き勝手に研究できなくなったと思ってあの研究所に身を潜めてたんだろうな。で、俺達が事後処理で手間取ってる内に超獣研究を続けてたって所か」
「中にいた人間全員を生贄にして完成させたのがあの姿なんだろうな」

 簡単な憶測ではあるが、恐らく細かい部分を除けばこの仮説は合っているだろう。今の体制では超獣研究は一切行っておらず、そんな研究の知識など無用以外の何物でもない。恐らく男はすぐにその事に気づき、身を潜めて研究を続けてきたという所だろう。その面だけを見れば大した物だが、行った行為は人を殺める以上に許されざる行為だ。

「なぁ勢火。あの施設は調査が終了次第完全に破壊しちまった方がいいんじゃないか?」
「奇遇だな。俺も今それを言おうとしていた所だ」
「そりゃ良かった。まぁ俺個人としてはすぐにでも破壊しちまった方がいい気がするけどな」

 耕介の言うように勢火自身もそうすべきだとは思う。だが万が一今回と同じ事が行われた時の備えとして記録だけは確実に入手しておく必要があった。

「それとだ。今後は今回のように一人で複数の相手と戦う自体が起こらない様にする為にチームを組ませる事にした」
「イレギュラーとはいえ予測しきれなかった事に引け目でも感じたか?」

 多少怒りを含んだ耕介の言葉に勢火は黙って頷く。正直な所、今回勢火は耕介に殴られても文句は言えない立場にある。事前に調査した結果、咲耶のリハビリとしては丁度いいと最終的に判断したのは勢火本人だ。それが一人で超獣達と退治する羽目になってしまったのは、完全なミスである。

「俺としても二度お前に殴られる理由を作っておいてこれ以上作る気にはなれんからな」
「一度目は咲耶に獄火旋を食らわせた事か。その話を聞かされた時に、もし火傷一つでも残ってるようだったら滅多切りにするつもりだったんだよなぁ」
「……それは危なかったな」

 獄火旋とは対象の周囲を炎で囲み、その空間の酸素を奪わせる技である。火傷など対象が中で動かない限りはできるものではないが、その事を言ったとしても言い訳にしかならないだろう。それに耕介とて別に勢火が憎くてこんな事を言っている訳ではないだろう。でなければ、こうしてお互い面と向き合って話をできる筈がない。

「まぁ任務だったんだし俺もこれ以上言うつもりはないし、ちゃんと詫びもしてもらったしな」
「咲耶のいない間に人の部屋に入り浸って酒の相手をさせた事が詫びか……あの後花穂が部屋がお酒臭いとか言って部屋に入ろうともしなかったんだぞ」
「それで済んだんだから安いもんだろ。むしろただで酒飲めたんだからお前の方が得してるし」
「部屋を漁って俺の秘蔵酒まで飲んだのは安くないんだが」

 もともと勢火自身酒は軽くたしなむ程度で普段は飲む事も無かったのだが、耕介が部屋に押しかけ杯を交わすようになってからは少しずつだが酒に強くなり、飲む量が増えたのだ。同じ家に住んでいる花穂はあまりいい顔はしないから最近は飲まないが、今では密かな楽しみとまでなっていた。

「で、チームに分けるって言ってたけどどうするんだ?」
「案としては一つある。現時点でのトップクラスの実力者を集め、その中で二人一組のチームを構築するという物だ」
「戦力の集中か……けどあちこち飛び回ってる奴等を一度集めるのも大変じゃないのか? 雹矢に限っては自由気ままに行動してるし」
「奴なら今大怪我をして療養中だ」

 そう言った途端、気楽そうに聞いていた耕介の顔が険しくなった。耕介が知る限りでは雹矢の実力は今の組織では最強に近く、攻撃威力だけならば咲耶に劣るものの、速さならば捉えきれる者は数える程でしかない。
 しかし、その事を知っていながら語った勢火にはさほどの緊迫感すらなかった。耕介もその事をおかしいとは思っただろうが、尋ねようとはしなかった。

「誰にやられた?」
「……今の地下世界で奴を倒せる人間がいるとするならば、お前の妹の咲耶と、俺の妹の花穂。そして奴の妹の千影と、この俺自身だろうな」
「まだ他にもいるだろうが。特にあいつなら……まさか!?」
「そのまさかだ。雹矢を倒したのは現時点での地下世界最強、そして現在地上にいる風使い、風真修二だ」

 その名を聞いて、ようやく耕介も何故そんな事になったのか理解して表情を和らげた。名も知らぬ相手ならば大事だろうが、この二人の私闘ならば特に問題はない。むしろ二人の関係を考えればあり得ない話でもなかった。以前一度だけ二人がこれから戦おうとしていた瞬間を耕介は垣間見ていたのだが、その時は邪魔が入り無期限の延期となっていた。ならば再戦が行われていたとしても不思議ではない。

「あいつらも懲りずによくやるよな。何のメリットもなく喧嘩するなんて」
「お前なら少しは気持ちは理解できると思うが?」
「そりゃ決着つけないままもやもやするのも気分悪いし、そういう喧嘩なら俺も嫌いじゃないからな」

 互いの全ての力を振り絞ってぶつかり合う。確かに戦いとしては戦略も何もない単調な物ではあるが、だからこそ価値があるのだとも言えるだろう。人によっては馬鹿としか言いようがないが、本気で何かとぶつかり合った人間ならばその価値を理解できるかもしれない。

「それで雹矢の奴が負けて今病院で寝てるって訳か」
「事前に事情を聞いていた千影がスラム跡地から運び込んだ時は大騒ぎになったが、すぐに納まって通常業務に戻ったそうだ。もっとも雹矢の奴が抜け出さないように一日中千影監視しているらしいがな」
「そりゃ絶対抜け出せないな……今度見舞いでも持っていってやるか」
「……酒だけはやめておけよ。あいつも一応未成年だからな」

 その言葉を聞き、少し悩んだ様子の耕介を見て勢火は軽く苦笑した。つい先日咲耶に言われた事を試しに耕介に言ってみたが、自分と同じ反応を返してくれた事が可笑しかったのだ。

(成すべき事は多くあるが、共に歩む家族と友がいる限り俺は絶対に迷わん。修二の奴がこちらで成すべき事をやり遂げたように、俺もこの道を完遂させてみせる)

 未だ悩んでいる友の姿を笑いながら、勢火は再び誓いを固めた。
 華秦は地下世界にとって進むべき道を誤り、結果として反感を集め公司を崩壊させる事になった。勢火がこれから進むべき道が必ずしも正しいとは限らないが、もし道を間違えたのなら進む道を変えればいい。今の勢火には、道を示してくれる友がいてくれるのだから。

 


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