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 地下世界には、かつて地上の研究者が駐留していた区画が存在する。そこでは地上では非合法とされてきた人体実験や遺伝子研究、果ては人間と動物の融合実験が繰り返されてきた。
 しかし地下世界にとって禁忌と呼ばれる事となる龍(ロン)の暴走により、研究者達はそこで行われてきた全ての研究を廃棄する事となった。その情報を知っている研究者達も地上へと逃げ出し、その行方を知る者は地下世界にはいなかった。
 そしてこの区画は数年間放置され続けていたのだが、公司が地下世界の実験を握りつつあった頃、この区画の一部は再び稼動する事となった。

「稼動の理由は一人のA級師兵がある研究を完璧にしたかったから、か。こんな場所、さっさと壊しちゃえばよかったのに」

 その稼動している施設を見下ろしながら、黒い外套を羽織った少女が嫌そうな顔をして手元の資料に舌打ちした。
 その顔立ちは少女と呼ぶには大人びているが、まだ少女のあどけなさを多少残している。体つきも一般の女性よりも力強い美しさが感じられる。居る場所が地下世界でなければ、恐らくトップアイドルかモデルに抜擢されていてもおかしくなかった。
 しかし身に着けている服がかつて公司で支給されていた制服である事と、この場所に居る事が、ただの少女ではない事を物語っていた。
 
「こっちに戻ってきて久しぶりの仕事がここの調査なんて、勘を戻すには丁度いいけど断っておけばよかったかしら……」

 そして少女は再び手元の資料に眼を向ける。
 この施設の調査計画は以前から計画されていたのだが、その頃は公司が崩壊したばかりで新体制の設立に時間を割くだけで精一杯だった為、長期に渡って見送られ続けていた。
 電力供給を絶って施設を停止させる事は簡単だが、万が一この施設に公司が能力者狩りの名目で捕らえた実験用の人間が残っているのなら、見捨てる訳にはいかなかったのだ。
 幸い研究者達の長期滞在の為に送られていた食料も半年分程あり、中の人間が餓死する事は無い。公司本社に記録されていた資料ではそうなっていた。
 そして新体制がほぼ完璧に整った今回、内部調査の為に人員が割かれる事となったのだが、それは少女一人だけで行える作業ではなかった。

「……お兄様達が調査隊を連れて来るまでの間に、中の危険は取り除いておかなくっちゃね」

 そう言って資料を放り投げ、施設へと向かって少女は歩き出した。
 少女の名は咲耶。かつて公司が存在していた頃、最重要人物であった『命の巫女』の護衛役にして、その巫女を地上へと連れて脱走した、公司にとっての裏切り者。そして公司の支配体制を打ち砕いた立役者の一人である。
 


風の記憶風の記憶 外伝
進むべき未来

前編

作者 クレヴァーさん


地下世界に帰ってから数日経ったある日、咲耶は旧公司本社ビルの最上階に呼び出されていた。

「一体何の様なのかしら? 今日はお兄様が久しぶりに家に帰ってくるから御馳走を作ろうって思ってたのに……」

 今日の予定を多少狂わされて不機嫌なのか、憮然とした顔で咲耶はエレベーターの中で最上階に着くのを待っていた。
 現在このビルは公司に変わる新体制の人間によって管理運営されている。と言っても運営している人間の構成は大して変わらず、公司内部にも以前の体制に不満を抱いていた人間が多かった事は十分に伺える。無論以前の体制が好ましく、公司から去った者も多少いるが、空いた箇所はスラムのまともな部類に入る面々で埋め合わされている。問題が起こっていない所を見ると、うまくいっている事が久しぶりに帰ってきた咲耶にとって安心できる事であった。
 
(そりゃ一人だけ地上で療養生活してたから文句を言える立場じゃない事は分かるけど、休みの時くらい予定通りに進ませて欲しいわよ)

 最近戻ってきた咲耶の担当は、外での能力者による暴動の鎮圧が主な任務だったのだが、そちらの方は咲耶の兄である耕介や他の面々の活躍もあり、戻ってきた頃には一時的に沈静化していた。現在は本社内で書類整理等を手伝わされ、精神的に疲れていたのだ。だから休日くらいは自分の予定通りに過ごそうと思っていた所に突然の呼び出しである。咲耶でなくとも文句の一つも言いたくなるだろう。
 エレベーターが最上階に着き、ゆっくりと扉が開かれる。そして最上階に存在する、旧公司で華秦が使っていた執務室へと咲耶は歩を進める。そしてその奥にある机の前で立ち止まった。
 
「遅かったな。呼び出してから一時間以上経っているぞ」

 その執務室の椅子には、新体制が設立された際に指導者に決められた勢火が座っていた。
 新体制が設立された当初は誰も指導者になろうとしなかったのだが、決めておかないと暴動が起こる可能性も考慮された為、内部の人間全員の多数決によって勢火に決まったのだ。
 勢火本人は意外そうだったが、よくよく考えてみればこれ以上の適任はいなかった。同じA級師兵の雹矢は人に的確な指示を下せる能力は無いし、咲耶の兄の耕介はといえば戦闘指揮はできても本社内部の業務指示には向かなかった。
 勢火の次に票が集まった空は、初期の公司の体制を知っている上、スラムに住んでいた人間の支持も厚かったのだが、本人は指導者にならずそのサポートに徹するという事で辞退した。

「悪かったわね。予定を潰されてむかついたから、わざと遅く来たのよ」
「それは済まなかったな」
「で、何の用なのよ? まさか書類整理を手伝えなんて言ったら、このビル壊すわよ」
「そんな用事でお前を呼び出すくらいなら自分でやっている。呼び出したのはもう一つの仕事の方だ」

 勢火が咲耶の前に資料を置いた途端、先程まで不機嫌そうだった咲耶の顔が引き締まった。そして咲耶が資料を手に取り、眼で簡単に読みあげる。

「能力者研究に使われた研究所区画の調査ねぇ。あそこまだ潰れてなかったんだ」
「公司が厳重に管理していたからな。あんな施設でも、万が一の事態に対応できるかもしれんという事で潰されなかっただけの話だ」

 能力にはまだ未解明な部分が多々あり、人体に何らかの影響を及ぼすのであればその対処法を発見する必要がどうしても出てくる。その為、本来ならば破壊すべき忌まわしき施設であろうとも管理しておく必要があったのだ。

「今回はその区画にある施設の一つを調べてもらう」
「いいわ。それで、まさか私一人に全部調べろなんて言わないでしょうね」
「安心しろ。後で耕介と一緒に調査隊を派遣するつもりだ」
「あら、だったら私も一緒に行こうかしら?」
「悪いがそうもいかん。今耕介の奴は、最近こちらに攻撃してくるゲリラの捕縛に行っててな」

 耕介の名を聞いた途端に真剣な顔を緩ませた咲耶だったが、次の勢火の台詞に落胆する。
 こちらに戻ったばかりの頃は勢火も少し気を遣ってくれたのか一緒にいる機会が多かったのだが、最近では耕介が自宅にいる事の方が珍しくなりつつあった。

「その代わりと言っては何だが、技術部から新装備が提供されている」

 そう言って勢火は机の下から何かが入った箱を取り出した。それを机の上に置き、中から黒い布らしき物を取り出した。

「何よそれ?」
「対能力者戦を考慮して開発された特殊外套だそうだ。スペック上では炎や水系の能力を防ぐ事が可能で、ある程度までなら斬撃や衝撃を緩和する事もできるそうだ」
「そんな便利な物が作られてた知らなかったわね」
「元々は公司があった頃に製造されていた物をそのまま継続して作ったにすぎんがな」

 勢火は手に持った外套を咲耶へと差し出す。それを咲耶が手に取った瞬間、ほんの少しだが右手が下に引っ張られるような違和感を覚えた。

「これちょっと重くない?」
「能力に耐えられる素材を探していたら普通の外套より重くなってしまったそうだ。いらないならここに置いて行ってもかまわんが?」
「……まぁ良い事ずくめって訳にもいかないわよね。いいわ、ちょっと重いくらいなら大丈夫よ」

 少なくとも多少は動きが悪くなる恐れが出てくるその外套を、迷うことなく咲耶は背に羽織った。背中に圧し掛かるような重圧感がくるが、それを気にせずに外套が落ちないようにあらかじめ付けられていた留め金を付ける。
 一通り感じを確かめるつもりで咲耶は右腕や左腕を動かし、最後に軽く一回転する。少しばかり重いが、特に動きの邪魔になるような事は無かった。

「うん、結構いい感じじゃない。でも色が黒っていうのがちょっとねぇ……」
「文句は後で技術部に言ってくれ。しかし、黒が嫌いだったとは知らなかったな」
「別に嫌いって訳じゃないわよ。見てるとついこの間まで一緒に戦ってたあいつを思い出すのよ」

 嫌そうな口調で言った咲耶だが、その表情は言葉とは裏腹に軽く笑みを浮かべていた。その脳裏に思い出されたのは、地上で出会って、この世界で同じ目的を持って戦った仲間であった。

「奴が着ていたコートの色も黒だったな」
「あいつ、こっちでボロボロになったコートまだ持ってるわよ」
「帰る時には大量に切れた後や血が付いたあれをか?」
「私も捨てた方がいいって言ったんだけどね。一緒に戦い抜いてきたから捨てたくないって」

 この世界で数十年着古したくらいにまでボロボロになったコートなど、とてもではないが地上で着る気にはなれないだろう。そんな物を捨てずに取っておく理由は限られてくる。
 その中で咲耶はこう考えていた。もう関わる事がないかもしれないこの世界で、自分は確かにそこで戦ってきたのだという証として取っておきたいのだろう。名誉でも勲章でもなく、ここで戦ってきた想いを忘れない為に。

「……一つ聞いていいか?」

 考え込んでいる横で、突然勢火が神妙な顔で話し掛けてきた。その顔はどこか重く、何かの罪をかかえているような罪人に思えた。咲耶は何を聞こうとしているのは分かったが、言うつもりは無かった。

「何よ?」
「奴は……俺を憎んでいたか?」

 かつて一度だけ、咲耶があいつと呼ぶ男――風真修二と勢火が相対する機会があった。結果は、能力に目覚めていなかった修二の死だった。
 正確に言えば、その時勢火は一般人だった修二に対して能力を使用せず、振り下ろした木刀を弾いてかぎ爪で胸を貫いただけ。つまり実力でそうなったのである。
 本来ならばそこで修二の人生は終わっていたのだが、命の灯火が消えうせる寸前、この世界で『命の巫女』と呼ばれた少女の能力、反魂の能力によって奇跡的に復活したのだ。
 もっとも、それで勢火が修二のの命を一度奪った事実が消される訳ではなかった。

「俺は奴と共にいた時、心のどこかで怯えていた。いつか復讐されるんじゃないかとな」
「あんたにしては珍しく弱気じゃない」
「殺した事を詫びるなどできる訳が無い。だから、奴に復讐されたとしても俺は文句を言える立場じゃないからな。だが、結局奴は一度も俺に斬りかかろうとはしてこなかった」

 少し影を見せた勢火の態度に、咲耶は勢火が何を言いたいのか少しだが理解できた。
 正面から勝負を挑まれたのなら多少は気は楽だが、復讐とはそんな奇麗事ではない。いつ後ろから斬りかかってこられるか分かったものではないのだ。それに、修二は既に公司の中でも五指の実力数えられる雹矢すら凌駕していたのだ。気配を悟られずに、一刀の下に斬り殺す事など容易い事だろう。
 だが修二がそんな卑怯な真似をしない事を、咲耶は共に戦ってきて理解していた。もし復讐したいのならば、小細工など考えずに真っ向から向かっていくだろう。

「そうね……あの時花穂もいたから斬れなかったってのは当然あるわ。だってあいつ、女の子が悲しんで泣く顔が一番見たくないって言ってたし。それに、多分今は恨んでないと思うわよ」
「恨んでないだと? 一度命を奪った俺をか?」
「もしあいつがそんな恨みがましい復讐鬼だったら、私はあいつと離れて戦ってた。それにあいつがこの世界で振るっていたのは守る為の刃よ。相手を完膚なきまでに叩きのめす術を持っていても、殺める術は持っていないわ」

 一緒に戦ってきた時もそうだった。斬る時は致命傷にならず、その上で相手を倒すつもりで戦っていた。結果として怪我人は多く出たが、殺した数は咲耶の知る限りでは間違いなく零である。
 そんな男が一度の復讐の為に刃を振るっていたのならば、咲耶は共に戦うつもりすら無かった。復讐の動機は理解できるが、一度誓った事を平然と切り捨てられるのなら、恐らく修二はこの世界で一人になっていただろう。

「結局馬鹿なのよ。それこそ一度誓った約束の為に命を賭けられるほどのね」
「そこまで言わなくてもいいんじゃないのか?」
「いいのよ。そんな馬鹿だから、あの子が好きになれたんだし」
「巫女が奴をか? そんな話は聞いた事がないが……」
「本人に聞いてないけど、あいつと一緒にいる時が一番楽しそうだったからそう思ったのよ」

 地上にいた頃の事を少し思い出して、咲耶は半分確信したように言い切った。
 その時の眼が自分が耕介に抱いている愛しい想いに近かったから確信できたのだが、その事までわざわざ耕介の数少ない友人の勢火に言うつもりは無い。

「まぁ、そういう訳であいつは復讐なんてできる柄じゃないのよ」
「……そうか」
「もしまだ償いたいって思うんなら、一度あいつの家に行ってみたら? その事言ったら、多分一発殴ってから『これでチャラにしてやるよ』って言うと思うわよ」
「そうだな。今はまだ行ける時間を作れないが、そのうち詫びの品でも持参して足を運ぶとしよう」
「あいつまだ未成年だから、お酒なんて飲めないわよ」

 多少からかうように言ったつもりだった咲耶だが、聞いた途端に難しい顔をした勢火を見て本気で呆れた。
 
(お兄様とよく飲んでるって聞いた事あるけど、お詫びの品にまで持ち込む事ないでしょうが……)

 今度耕介が帰ってきたらしばらく禁酒してもらおうか――冗談抜きで咲耶は思った。
 娯楽が少ない世界だからこそ、酒に楽しみを持とうとするのは多少は分からないではないが、いくらなんでも誰彼構わずに酒を勧めれば良いという物ではないだろう。
 未成年の飲酒が規制されている地上で勧めようものなら、犯罪者にはならないだろうが多少の常識が欠けているとしか思われない。地上でも未成年で飲んでいる人間もいるだろうが、人に勧めようとする事は滅多にしない筈である。

「それじゃ、私は行くから」

 まだ悩んでいる勢火に告げ、咲耶は執務室から出ていく。後に残されたのは、仕事もそっちのけで難しい顔をして品を考えている勢火だけが残された。
 後に――追加の書類を運んできた花穂に詫びの品なら何が良いと聞く勢火の姿が、執務室に備え付けられている監視カメラに映されたが、それは別の話である。
 
 
 その後、すぐさま目的地へ向かう準備を終え、使用許可が出ていたバギーを施設へ向けて走らせた。瓦礫だらけの道でも多少はまともに走れるように調整されたバギーは、咲耶の運転に答えるように目的の施設へと向けて走っていった。免許こそ持ってはいないが、普通に運転できるだけの技術は備えていた。
 施設のある区画へと着いた咲耶は、まず目的の施設を一望できる場所へバギーを止め、後部座席に放り込んでおいた外套と資料を手にとって降りた。
 施設を見下ろしながら、今回の目的とこの施設で行われていた研究、内部構造をチェックして、資料をバギーの方へ放り投げ、咲耶は施設へと向かっていった。
 施設の正面入り口に辿り着いた咲耶は扉を開けようと取っ手に手をかけるが、鍵がかかっているらしく扉は開く様子がない。他に扉を開けられるような装置がないか扉の周辺を調べるが、それらしき物は見つからなかった。

「もう! 鍵がかかってるんならちゃんと言っておきなさいよね!」

 文句を言いつつも、咲耶は引き返そうともせずに扉の前に立った。そして右手を握り、腰を落とす。
 咲耶が右手に『力』を集中した途端、黒い球体が咲耶の右手全てを覆い隠す様に発生した。その球体が発生した瞬間、咲耶の足元の瓦礫が何かに押しつぶされたように異音を発して砕け散っていく。それに目もくれずに、勢いよく右拳を扉へと向けて突き出した。
 瞬間、ある程度の攻撃には耐えられる様に設計されていた扉が、突然凄まじい力に押しつぶされたように粉々に砕け散った。
 幼少の頃に目覚め、兄と同じ位に信頼している自分の力。『重力』の能力。全てを押し潰す力を前にしては、たかが扉の一つ如きの防御など、無力に等しかった。
 だがこれほどの力を放っても、咲耶に疲れの色はまったく見えない。扉を破壊した力はあくまで能力の片鱗にしか過ぎず、全開で放てばこの程度の施設を破壊する事など造作もない事だろう。正直な所、咲耶もこの施設が管理さえされていなければ本気で撃ち込みたい所であった。
 砕けた扉の瓦礫を踏み越えて中に入ると、そこは外よりも薄暗いホールだった。

「目的地はこの階より下か……エレベータが動くんなら苦労しないんだけど」

 電気が点いていないのは、恐らく公司が崩壊してレジスタンスの攻撃を恐れた研究員達がさっさと逃げ出した際に全ての電源を落としたのだろう。そうなると捕らえられているかも知れない人達が生きているかどうかは微妙な所である。
 だが非常なようだが今の咲耶の仕事はこの施設の詳しい調査ではなく、危険な障害が存在しないかをあらかじめ調査する事である。詳しい調査の方は後から来る耕介達に任せておけば大丈夫だろう。無論調べている最中に捕まっている人間を見つけるに越した事は無い。そう割り切って咲耶は調査を開始する事にした。
 ホールの壁に貼られているこの階の地図を見てみると、電力の供給を制御しているような区画はすぐに見つかった。

「地下一階に制御室ね。階段も見つかったし、早く終わらせよっと」

 地図の張られている壁の横に設置されている階段を降り、先ほどより少し暗くなった地下一階の廊下を歩く。前が見えづらいが、道順は覚えているので足元を注意するだけでさして苦労もせずに制御室に辿り着いた。
 扉には鍵が掛かっていたが、先程より威力を落とした重力波を当てただけであっさりと吹き飛んだ。中に入って辺りを見回すと、電力供給を制御するレバーが見つかった。見た限りでは奇妙な仕掛けもなかったので、咲耶は上に上がっているレバーを思いっきり降ろした。
 すると、先程まで電力が落ちていた制御室に再び光が点された。この場所からでは確認できないが、恐らく全てのフロアの電力が戻った筈である。
 
「さてと、まずはこの部屋から調べてみますか」

 部屋を見回した限りでは人が居る様な痕跡は認められないが、調べておくに越した事はないと判断して壁を手で探りながら調べ始めたが、しばらくして何の異常も見つからなかった咲耶が制御室の中心で大きくため息をついた。これ以上調べても無駄だとはっきり分かったので部屋を出ようと扉へと向かう。
 だがその時。何の前触れも無く、部屋全体に奇妙な音が木霊した。

「……?」

 思わず足を止め、訝しげに思いながら上を見上げると天井から軋むような音が聞こえてくる。ここの構造に多少の欠陥があって軋む音なら、ここに入った時から聞こえてくる筈である。だが構造上に目立った欠陥がない事は読んだ資料で確認してある。

(考えられる事は天井を何かが走ってるくらいだけど、まさかネズミじゃないわよね……)

 咲耶の脳裏に浮かんだのは、大量のネズミが天井裏を駆け抜けている絵であった。自分で想像してなんだが、背筋に凄まじい寒気が走るほどに不気味である。
 しかしその軋む音が近づくにつれ大きくなり、次第に警戒心を強め始めた。そして音は、ちょうど咲耶の真上で止まった。

(一体何なのよ……)

 見上げながら、今天井にいる物を可能な限り予想してみようとする。
 だが予想をする前に天井を思いっきり叩くような音が聞こえてきた。音が二,三回鳴った瞬間、咲耶の真上に亀裂が生じた。
 亀裂から現れたのは、白く尖った鋭い何かであった。警戒していた咲耶も流石にこれには驚かざるを得ない。しかし呆然としている間にも亀裂は更に広がり、咲耶の真上の天井を破壊して何かが降りてくる。天井が破壊される寸前に正気に戻った咲耶は、すぐに扉を開けて部屋から出た。

「ちょっとの危険くらい覚悟してたけど、流石にこれは無いでしょ……」

 これに呆れながらも、眼前に立ちふさがった物を睨み付ける。
 天井から降りてきたのは、一頭の巨大な獣であった。だが獣と一口に言っても種類を区分できるものだが、今咲耶が見ている獣は種類が不明としか言いようがなかったのだ。
 見た目は獅子に近いのだろうが、牙は顎まで伸びており、足から伸びる爪も地上の獅子よりも鋭く尖っていた。よく見ればその足も獅子の物ではなく、チータの足によく似ていた。
 この異形とも呼べる生物に咲耶は心当たりがあった。
 見るのはこれが初めてだが、それは公司との最終戦の際に本拠地としていた集落を襲った生物兵器の失敗作であった筈だ。
 その生物兵器の名は超獣。公司のA級師兵の一人、秋絃が計画を発案し、自ら望んで実験台となった事が始まりとされている。成功確立が低かったにも関わらず実験は成功。当時B級師兵だった秋絃はその圧倒的な力でA級師兵だった者を華秦の目の前で殺し、A級師兵として認められたと記録に残っている。
 その後も研究を重ねられていたが、秋絃を越える超獣は生み出される事はなかった。最悪、自我が完全に崩壊し、今目の前に居るような、暴れ狂うしかできない獣が生み出されるのだ。
 
(しばらく放棄されていた施設にもう量産されない筈の超獣の失敗作。この施設なら居てもおかしくないでしょうけど、自由に歩き回ってるのはおかしいわね)

 この施設が稼動された最たる理由。それはこの施設に残されていた超獣の前進でもあった、人の身に獣の遺伝子を移植し、己の力として取り込む半獣の研究を超獣の資料として利用する為であった。
 だからこの研究所に失敗作がいるのは別におかしい事ではないが、いるとしても頑丈にできた檻の中の筈だ。こうして自由に歩き回れる筈がない。

(檻を無理やりこじ開けたか……侵入者が来た事を確認した『誰か』が迎撃用に解き放った一匹がたまたまこっちにきたって所かしら)

 他にも考えられる可能性はあるが、こちらに突っ込んでくる獣を見て思考を切り替えた。大口を開けて鋭い牙を見せる獣に動揺すらせずに、咲耶は獣の突進をあっさりとかわした。獣はすぐさま両の前足で進む方向を変え、再び向かってくる。だが、今度は牙の攻撃だけでなく、右足の爪の攻撃も含まれていた。一方は囮にし、もう一方の攻撃で確実に仕留めようとしているのだろうが、そのどちらも直線的過ぎた。
 右足から振るわれた爪をかわし、咲耶は一気に獣の懐へと飛び込んでいく。その正面には食らいつかんと待ち構えている獣の口があったが、その口を見ても、咲耶の口元は薄い笑みを浮かべていた。
 獣が食らいついて来た瞬間、左の拳に重力波を生み出し、下に構える。そして相手の頭を打ち砕く勢いで放たれた左のアッパーが獣の顎を打ち抜き、強引に口を閉ざさせた。同時に顎から来る衝撃で獣の動きが完全に止まる。その一瞬の間に、右拳に生み出した重力波を、獣の心臓の位置に直接打ち込んだ。
 閉ざされた獣の口の隙間から赤い液体が漏れ出し、ゆっくりと仰向けに倒れた。咲耶は一応距離をとって構え直すが、獣が微かに息をするだけで立ち上がろうとしなかったのを確認すると、構えを解いて振り向いた。

「殺すつもりで打ち込んだのにまだ生きてるなんて、とんでもない生命力ね……」

 咲耶が先程打ち込んだ一撃は全力ではなかったが、ここの門を破壊した以上の力を加えていた。それを心臓の真上に受けて、まだ生きている事はただの人間でならば奇跡としかいいようがない。能力に耐えられる程の皮膚と、巨体と怪力を存分に振るえる強靭な生命力があったからこそ死ぬまでには至らなかったのだろう。
 今後必要となるであろう対超獣戦の戦闘法を頭の中で組み立てながら、咲耶は上の階層へと向けて走り出した。

 


クレヴァーさんへの感想はこちら
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