妹姫物語《ニレネニシュルトアンスクルス》 命運魔法(仮)外伝
断章『ゴフェル U』

4

 土煙が遥か向こうに見え、門衛サナドロンは小首をかしげた。
 かつては鉱山都市として栄えた街であるため、周囲を塀で囲まれており門が四方にある。
 そのうち、サナドロンは北門の門衛であり、イリル大平原の中央の商業都市イリル・ウルノスへ街道が伸びている門である。
 
(はて、今日は誰か訪問の予定が伝えられていたかな?)

 サナドロンは今、72歳。
 かつては帝都の軍主催の武術大会で優勝したこともある歴戦の勇士であるが、20年昔に現役を退いて以来、生まれ故郷のこの都市に戻ってきた。
 自慢じゃないが、20年間で初めの10年こそ来客がしばしばあったものの、エレディンド伯が死んでからはほとんど来客は途絶えていたのだ。
 土煙が近づいてくる。
 その客が判明したとき、サナドロンは思わず目を疑った……なんだ、あれは。
 それは黒い軍馬に跨った全身黒甲冑の騎士であり、各々物騒な武器を剥き出しで携えていた。
 また、軽装の者もいるが、例外なく黒の装いである。
 総じて数はおよそ50。それが街道を南下してきているのである。

「なんだ、あれは……」

 今度は言葉に出た。
本能的な畏怖を憶え、今にも逃げ出したくなったが、戦いに慣れた魂がかろうじてサナドロンをその場に引きとどめた。
 そして大声で、彼らに呼びかける。

「とまれぇぇぇ!!!」

サナドロンは門の前で何度もそう叫んだが……騎兵たちはとまる気配を見せず、ぐんぐん近づき――――エルフォの街に駆け込んだ。


 馬蹄の音が街中に響き渡る。
慌てて馬を避ける人々、蹴倒される道端の何か、そして怒号と悲鳴―――無論、騎手たちはそのようなことを歯牙にもかけていないが。
彼らはたいてい二人一組で馬に乗っている。
前側で手綱を握っているものは重装で、黒く分厚い甲冑や武器を身につけていたが、後ろ側は軽装で、無論黒装束であるが、どうやら歩兵のようである。
彼らは盛んに空を気にしながら、黒い一団となってエルフォの街を疾駆する。
と、先頭を走っていた黒の騎手に、飛来した何かが彼にあたり、バランスを崩して後ろの歩兵ごと路上へと墜落する。
空気を切り裂いて飛来したのは、鋭い矢であった。
鋭い矢が、彼らの鎧の、唯一の弱点である喉に突き立っていた。

その矢の主は、領主館の屋根の上にいた。
イングアルトである。
彼女が弦を弾いて空気を震わせると、そこから放たれた矢はまるで吸い込まれるかのように昏人へと突き刺さる。

「近頃触ってなかったけど、腕が落ちて無くてよかったですわ」

イングアルトが呟き、弦を引き絞り……放つ。
これまた見事に、昏人を落馬せしめる。

「反撃、来ますです」

領主館の周りは石畳で整備され、ちょっとした広場になっている。
事前にイングアルトが大声で危険を告げていたため、広場にはイングアルトとイースリースしかいない。
その広場にぽつんと立っているイースリースが言うや否や、騎手たちの後ろに乗っている者たちが手を虚空にかざし、眠っている元素を解き放つ。
色鮮やかな光球がイングアルトに迫るが、既にイングアルトは屋根から飛び降り、それを簡単にかわしている。
イングアルトが見事に着地し、長柄の薙刀を身構えて睥睨すれば、疾駆を続けていた騎兵たちは少し離れたところで止まり、イングアルトを警戒する。
警戒しつつ、しきりに空を見上げている。

「空に何かあるのかしら?」

視線をそらさず、イングアルトが呟いた。
変わりにイースリースが空を見上げて確認する。

「頭上には何も見当たらないですけど…」

空を見上げながらじりじりと後退しつつ、イースリースが困惑した声を漏らす。
イングアルトがイースリースを庇って彼女の前に立つ。
とそのとき、騎兵の後半分がぐるりと転回して、再び動き出した。

「……どこへ向かうつもりかしら?」
「あっ、分かったです!」

イースリースが声を上げる。

「鳥です、彼らは鳥を使って見ていたです!」


「あ、兄チャマ、一体どういうことっ?!」

路地を走りながら、ゴフェルは兄に尋ねた。

「わからんっ! とりあえず走れ!」

と、ゼファールもよく分かっていない様子だ。
ぎゃーぎゃーとけたたましく叫びながら、鳥が上空を舞っている。
もっとも、ゼファールにはその鳥が目に入っていなかったが……。
かつては鉱山都市として栄えたエルフォの街はなかなかに大きい。
街の中央が領主館だということは前述したが、そこから約1ウルルラール(1.5km)の範囲が街である。
港へも同じくらいあり、表の大きな道を走ることは躊躇われた。
ちなみに、ゼファールの今の装備は普通の服と僅かなお金と、そして父から餞別された魔法剣のみであり、ゴフェルに至っては普通の私服のみであり、わけがまったくわかってない状況だ。

(イングアルトは大丈夫だろうか…)

ゼファールは走りながら思った。
イスファニトで二番目の使い手(自称)であるが、その実力はゼファールも身をもって知っている。

(まぁ、心配するのはイースリースのほうだが……ん?)

とそこまで考えて、ゼファールは足音がついてきてないことに気づいた。

「あ、兄チャマ〜、まってぇ……」

 荒く息をつきながら、ゴフェルがようやく追いつく。

「はぁ、はぁ、朝食、食べてな、いから力、が出な、い、デス……」
「しっかりしろ、ゴフェル。今走らんと昼食も食べれんかも知れんぞ」

ゼファールはそう言ってゴフェルを励ましたが、心なしかゴフェルの目は空ろだ。
「しかたない……」ゼファールは呟いて、ポケットを漁って、何枚かのクッキーを取り出した。

「これをやろう」
「兄チャマ……いったいどこから?」
「秘密だ……」

「備えあれば憂いなし」とゼファールは呟き、ゴフェルがクッキーを食べ終えて少し落ち着いたのを見て、ゴフェルの手をとった。

「兄チャマ?」
「急ぐぞ、実はまだまだ港は遠い」

言うや否や、ゼファールはゴフェルの手を引いて、駆け出した。
なにしろ、まだまだ港へは半分以上のこっているのだ。
が、イースリースの言が正しければ、そこまで行けばイスファニトの援軍が待っている筈であった。

(兄チャマの手……)

ゴフェルはそれどころではなかったが。
と、間もなくして大きな通りに出ると、北から馬蹄と嘶きが聞こえてきた。

「イングアルト……イースリース……」

(大丈夫なはずだ……)ゼファールは心の中で祈るように呟き、

「行くぞ、ゴフェル」

言ってゼファールはゴフェルを引っ張りながら、反対側の小路へと駆け込んだ。
とにかく走る、走るしかないのだ。
はぁはぁ、とゴフェルは荒い息をついていたが、止まるわけにも行かない。
一刻も早く、味方の元へ急ぐ必要がある………休むことなど、そこでいくらでも出来るのだ。
朝であるため、大路にもほとんど人々はいない……小路ならなおさらで、ほとんど人が見えない。
だというのに、ゼファールは視線を感じていた。

(監視されている……?)

しかし誰に?
両側には家々が連なっているのだ、遠くから監視することは出来ない。
走りながら、屋根の上に視線を走らせて見る。
しかし、見えるのは曇った空と、飛び回る…・・・
そこに馬蹄が聞こえてきた。
慌てて視線を空から引き離し、音の方向を探る……が、音が響いてどこから聞こえてくるのかいまひとつ自信がない。
近づいてきた。
そして脇道から、突如として姿をあらわす。

「!」

馬が前脚を大きく振り上げ、けたたましく嘶く。
突き出された鋭い槍をゼファールが剣を鞘に入れたまま受け止め、さらに打ち合いながら、右手を騎兵へと向け、

「エーァラ! ワル・ル・デュクレーズ・クリトゥラグ、ワレル・ムーム・ウ・ワルウール!」
《風よ! わが手に集いて、我が敵を打つべし!》

 魔法の文字がゼファールから紡がれると、眠れる元素が覚醒し、風が唸りをあげて騎手へと叩きつけられる。
両腕で槍を握っていた騎手に、それが抗え切れるはずもなく、あえなく落馬する。
騎手が落馬の衝撃で失神したのを見届けると、ゼファールは大きく息を吐いて、手を下ろした。

「兄チャマ……」

ゴフェルがゼファールの肩にしがみつく。
そこで足音が、再び聞こえてくる。
(今度は一体ではない……もっと多い)と、ゼファールは至極冷静に判断すると、

(ここに止まるべきではないが、考える必要がある)
「ワリフ・ウラズ・クルードァグ、ワリフ・エーレズ・コダァナル」
《我らは"重"から解き放たれ、風に乗らん》

ゼファールはゴフェルの腰を抱き、地を蹴って一気に飛び上がった。
四葉が驚いた声を漏らす。

「あ、兄チャマっ?!」
「デーラドル クラドゥール」
《緩やかに解除せよ》

ゼファールは解除の呪文を呟いて、見事に屋根の上に着地して、ゴフェルを屋根の上に降ろす。
先ほどまで彼らのいた場所に、ぞくぞくと昏人どもが集まってきていた。

「危機一髪……ってところか…」

ゼファールが安堵の呟きをもらした。
その後ろでゴフェルが、「いったい、どうなってるの……?」と小声で呟いたが、ゼファールにもそれが分かっていなかったので、答えようがなかった。
と、そのとき、騎手の後ろに乗っていた者たちが呪文を唱え、浮かび上がってきた。

「げ…」
「う……」

ゼファールとゴフェルが同時に呻き声をもらす。
慌ててゼファールがゴフェルの手を引いて立たせ、屋根の上を港の方へ走り出す。

「逃げるぞ!」


5

「華月様」

突如として、音もなく華月……すなわちイングアルトの前に、黒装束の人間が現れた。
声から察するに、少女である。
眼のあたりの他は上から下まで黒で覆われている少女は、一見すると黒衣……すなわち、昏人で最上位の能力を持つ種族に見えるが、実際は華月の部下であり友人であった。
身長はおよそ1ラール(1.5メートル)で、華月よりか幾分小さく、イースリース……静雪と同じ程度である。
華月が、視線を騎兵たちから微塵もそらさずに、カトーリヤに話し掛ける。

「カトーリヤ…早かったですわね。どうでしたか?」
「敵は既に、エラドール川流域まで進軍してきています。兵力はおよそ一万」
「…一万」

 華月が、ポツリとつぶやいた。
エラドール川は、エルフォのすぐ西を流れ、アードリア湖へと流れ込んでいる。
その川を隔てて西は、ヴァランヘール大公国である。

「ゼフィールスガルド[西虹都]が落ちたなんて、私、聞いてなくってよ?」
「えぇ、ゼフィリスガルドは落ちていません。しかし、エウロ・ヴァラール(西天嶺)市は既に陥落しています」
「なんですって!?」

流石の華月も驚きの声を上げる。
エウロ・ヴァラール市は、大公国においてエルフォからもっとも近い都市で、公都ヴァランヘールに近いということもあり、常備兵として5000が配属されているはずである(ちなみにエルフォは150程度)。

「はい。騎兵10000による奇襲を受け、よもや襲われることはないだろう、と油断していた同市はほぼ壊滅、公都付近は大変慌しくなっている、とのことです」
「それは知らなかったです……」

静雪が言う。
華月は頷いて、カトーリヤに先を促す。

「先ほども言いましたが、すぐ後ろに大軍が迫っています。彼らは先遣部隊です。彼らだけなら、エルフォ市の常備兵だけで撃退ないし殲滅は可能ですが、その後ろの軍にはまずかないません」
「でしょうね……ゴフェルを捉えて、後は皆殺し……」
「おそらくは。先遣隊を放ったのは、ゴフェルを間違って殺さないように、ということでしょう。彼らがスパイを放っていれば、ゴフェルがどのような存在なのか知っているはずですから」

カトーリヤが推論を述べる。
華月は少し考え、

「カトーリヤ、私たちもすぐ追いかけますから、ゼファールの援護をよろしくお願いします」
「黒い鳥の下に、ゼファールさんとゴフェルがいるはずです。急いでくださいです」

華月と静雪の言葉にカトーリヤは頷いて、現れたときと同じように、何処ともなく消え去った。
カトーリヤが消えたのを見て、警戒していた騎兵たちは埒があかないということを悟ったのか、馬の腹を蹴り突っ込んでくる。

「静雪!」
「ムーミア・フ・ゲル・クルード モルメレズ・ケイワズール!」
《地を失い、ただ暗黒に落ちよ!》

似つかわしくない静雪の大きな声での呪文が、元素を眠らせてゆく。
そして、騎兵の進む先に、暗黒がぽっかりと口を開いた。
この突然の大穴に対処できず、騎兵たちはまるでレミングたちのように穴へと落ちてゆく。
無論、それほど深くない穴で彼らをいつまでも拘束できるとは思っていない。
相手側も、呪文を唱えて始めている。

「アエセレカ・ケイワズ、"ゲティオ"!」
《天空より来る、大地の怒り!》

 が、静雪の方が早い。
 彼女の解き放った魔力は、隕石《ゲティオ》、すなわち、遥か上空で覚醒した"地"の元素の集まりを、確実にその穴へと誘導したのだ。
 
っっどぅんっっっっ!!!!

凄まじいほどの爆音がして、大地が揺れて、騎兵の大半は生き埋めになる。
いや、ほとんど即死であろう。
 凄まじい噴煙と風が巻き起こり、人々をなぎ倒し、壁を破壊し、石畳を吹き飛ばした。
 華月は静雪を抱きかかえ、わき道に駆け込んで難を逃れているが、それでも大地が震え、噴煙が吹き込んでくるのを交わす術はない。
 それ以前に、あの凄まじい音のせいで、耳がほとんど麻痺してしまっている。
 それだけゲティオというものの凄まじさを痛感できた。
 
「えほっ、けほっ……! こ、ここまで凄いものだったの……?」
「わ、私も実際に、こほっ、こほっ! …み、見たことはなかったです……」

華月が噴煙に咽ながら言うと、静雪も同じように言って「もう二度と使いたくないです…」と言った。
華月は薙刀を杖に立ち上がると、脇道の角から噴煙立ち込める広場を窺った。
立っているものは、いなかった。

「全く……自分たちでエルフォの街を滅ぼした気がしますわ……」

流石の華月も、その威力の大きさに自嘲気味に笑うしかなかった……実際そうなのだが……。
ふぅ、と息を一つ吐いてから薙刀をしまい、魔力を使いすぎて立てない静雪を抱き上げると、

「さて……ゼファールのほうに行きますわよ」

 と言い、駆け出した。


その少し前。
「あ、あ、兄チャマぁ〜」
「……」

ゼファールが泣きそうな声を上げるが、ゼファールにはそれに構っている余裕も無かった。
後ろから軽装の昏人が追いかけてくる。
さらには下の道を、騎兵が馬蹄を響かせながら駆け抜けてゆくが見える。

(おぃおぃ、いすぎだよ……)

ゼファールはげんなりとした。
後ろをちらりと振り返る………5,6名の昏人が追いかけてきている。

(どうやってかわしたものか……)

ゼファールがそんなことを思案しながら走っていると、進行方向に昏人が現れる。
騎兵の後ろに乗り、先回りされたのだ。
昏人はどちらも軽装であるが、手には短めの蛮刀を掲げている。
ゼファールをそれで無力化する意図がありありと窺えた。

(やられるものか!)

ゴフェルの手を離し、両手で鞘付きのまま、走りながら剣を構える。
一瞬にして間合いが詰まる。
振り下ろされる蛮刀をやはり鞘に入ったままで受け止め、返す刀で昏人の胴体へ叩きつける。

「ぐぁっ!」

鈍い打撃音と悲鳴を残しながら、追っ手は屋根の上を転がり落ちていく。
間髪いれず、もう一人の方が蛮刀を突き出すが、ゼファールは落ち着いてその剣を払い、今度は顔面に鞘を叩きつける。
やはり鈍い声を上げて、一人目同様屋根の上を転げ落ちた。
2人を同様の運命に辿らせた後、ゴフェルを前にやり、

「走り続けろ!」

と叫び、すぐに迫っている昏人どもに、鞘のままの剣を向けて威嚇すると、追っ手も立ち止まり、ゼファールに蛮刀を向け、相互に威嚇し合う形になった。
刹那、大地が震え、そしてほぼ同時に凄まじい爆音が彼らを襲った。
どちらも同様に、音の震源に顔を向ける。
そこからはもうもうと砂埃が舞い上がっていた。
イースリースの誘導したゲティオである。

(あの姉妹しか、あんな無茶苦茶をするやつはおらん……)

ゼファールはすぐにイースリースがやったことに気がつき、すぐに視線を戻すが、相手は事態がつかめておらず、動揺して、浮き足立っていた。

(チャンス!)

ゼファールはその機を逃さない。
一瞬で間合いを詰め、一番近い昏人に一撃を見舞い、さらに、慌てて視線を戻した近くの昏人にも鞘の腹を思いっきり叩きつける。

「がぁ!」
「ぐはっ!」

為す術もなく崩れ落ちる昏人を尻目に、一気に三人目に間合いを詰める。
流石に三人目は体勢が取れていた。
ゼファールが上段から振り下ろした剣を受け止め、弾き返すと、すかさず間合いを詰めてくる。
が、ゼファールは落ち着いていた。
斜めから振り下ろされた剣を受け止めると、そのまま前に出て追っ手の顎に拳を見舞う。
頭を貫く衝撃に耐え切れず、追っ手は失神し、その場に倒れ込む。
援護にきた昏人に剣を一閃して威嚇しつつ、大きく間合いを取る。
が、気づけば昏人は次から次へと増えていた………三人倒したが、いつのまにか、7人になっている。

(これは……さすがにきついか?)

ゼファールは唸り、じりじりと後退する。
同時に、相手もじりじりと前進してくる。
と、そのとき、一番後ろにいた昏人が悲鳴をあげて斃れる。
慌てて振り返る昏人ども………よく分からないが、再びチャンスがめぐってきたようである……これを逃して勝利はない。
ゼファールは、再び一瞬で先頭の昏人の間合いに飛び込むと、慌ててゼファールを振り返った昏人の鳩尾に刺突を叩き込む。

「……ぁ!」

声にならない声を上げ、後ろの昏人を巻き添えにして転げ落ちてゆく。
入れ替わるように一人が突っ込んでくるが、ゼファールはすぐさま間合いを取り、呪文を紡ぐ。
呪文を中断させようと、慌てて突っ込んでくるが……遅い。

「ケヘルクロト・エル、ワレズ・クシグーラグ、モーリア・ウ・クグンヌ・ゼフィエーリア・コダゥール!」
《逆巻く風、我に従いて、悪しきを貫く西風となれ!》

下がりながら紡がれた言葉に、ごうっ、と音をたてて大気がうねる、よじれる。
風が集う、風が渦巻く、さながら風が詠うかのよう。
それは風の持つ兇暴。
ゼファールの掲げられた手を中心にして、今にも暴れ出さんとしている。
ゼファールにそれをとどめておくことは出来ない。
だから、彼はそれに方向性を示してやる……つまり、追っ手に対して、それを解き放った。
風は上への力……普段は微弱だが、集まった"風"の力は強大…… 屋根を破壊し、残骸を舞い上げながら、追っ手に獰猛な牙を剥いて襲い掛かる。
掴まるところがないこの屋根の上で、その上への力に抗うのは至難の業であり……そしてやはり不可能であった。
残らず、天高くに舞い上げられ、大地へと叩きつけられる。
叩きつけられた衝撃をかわせるものはいない………例外なく、追っ手は沈黙した。

「……ふぅ」
「兄チャマ…」

一息ついたところに、ゴフェルが寄り添った。
ゼファールは驚き、振り向いて、

「ゴフェルっ?! 先に行けと……」
「兄チャマを置いていくことなんて、できないよっ」

泣きそうな顔で、ゴフェルは言い、しがみ付いた。
慌てるゼファール。

(ど、どうすれば……)
「取り込み中、失礼します」

狼狽するゼファールに、後ろから抑揚のない声がかかった。
慌ててゴフェルを引き離し、剣を構える……そこには黒装束がいた。
眼の部分以外、真っ黒である……性別はそれだけで分からないが……。

(どっかで聞いたことのある声だな……)
「何者だ……いや、敵にきま……」
「貴方もよく知っているものです」

ゼファールを遮った黒装束の言葉に、彼は酷く混乱した。

(やはり聞いたことがある…。だが、彼女がこんな黒装束を着てこんなところにいるはずがない)
「よくわからん。質問を変えよう、敵か、味方か?」
「味方です。華月様から援護するように、と言われています」
「華月の?」

 と、そこまで黙っていたゴフェルが口を開く。

「もしかして、ルトレアさん?」
「バカな、彼女がこんなところに……」
「はい、私です」
「……なぬ?」
 
再びゼファールの言葉を遮って、黒装束はマスクを取った。
髪があらわになり、一瞬にしてその雰囲気が変わる。

「る、ルトレア……」

 ゼファールが呻いた。
 ルトレア……ゼファールたちの向かいの住人で、早くに両親を無くし、一人で花屋を営んでいる少女であった………はずだが……。

「る、ルトレア、お前もか……」
「はい。ゼファールさん。あ、でも今はカトーリヤとお呼び下さい」

 やはり抑揚のない声で、ルトレア……カトーリヤが応えた。

「……もしかして、さっき一番後ろのやつ倒したの、ルトレア?」
「えぇ。ゼファールさんに殺されるかと思いました」

心なしか、怒っているようだ。
ゼファールはやはり慌てて、

「えー、えっとー、あ、あれはだな……」

必死に言い訳を考えているゼファールの横を素通りして、カトーリヤはゴフェルの前に跪いて、その小さな手をとって、

「さぁ、逃げましょう、ゴフェル様」
「えっ? あ、うん……」

よく分からないまま、頷くゴフェルの手を引いて走り出す。
後に残されたゼファールは独り、

「……今日はついてない日なのか?」
(朝からあの姉妹に絡まれるし、台所は悲惨な状況らしいし、昏人と朝っぱらから戦闘だし……ルトレアには絡まれるし……)

 と嘆いて、慌てて後を追いかけた。

6 

雨が降り出した。
それほど強いわけではないが、ずっとその雨中にいたら、随分とずぶ濡れになる、そんな雨。

「珍しいな、"火ノ月"に雨が降るとは……」

甲板の上で柵にもたれていたゼファールは、空を見上げて呟いた。

「むむ……なかなか、先行き不安です……」

隣でやはりもたれていたゴフェルが、そう呟いた。
ゼファールも不安を感じていた……まぁそもそも、ゴフェルが呼ばれるという事態、それこそが異常なので仕方ないのだが……
共に航行している船の甲板上にいた人々も、雨の中じっとしているわけにもいかず、そそくさと船中へ退避している。

「兄チャマ、中に入りませんか?」
「あぁ、そうだな」

ゴフェルの言葉にゼファールが頷くと、ゴフェルは嬉しそうに笑い、船内へ駆けていく。

「兄チャマー、早くー」
「分かってる」

苦笑しながら、ゼファールは歩き、今は遠くなったエルフォの街を見つめながら、その時のことを思い出していた。

・・・

 カトーリヤが先頭、ゼファールがしんがりと、ゴフェルを挟むようにして、彼らは一路港へ向かって走っていた。
と、先頭のカトーリヤが立ち止まり、一歩二歩下がって振り返った。
二つ目の大きな街道に着いたのだ……ここを越えれば、港まではあと少しである。
が、

「待ち伏せです、ゼファールさん」
「……ッハァ……ッハァ……」
「む…」

 ゼファールはうめいた。
ゴフェルは死にそうである。

「も、もぅ、は、走れないです〜」

そう言って、その場にへたり込んでしまった。

「ゴフェル……」

ゼファールは心配そうにかがみこんで、彼女の肩に手をおく。
……まぁ、半分は彼のせいなのだが。

「ゼファールさん……アレが見えますか?」
「うん?」

カトーリヤはそう言って、港の方を指し示した。
連なる家々の向こう、暗い空を写して荒れ模様のアードリア海……その丁度中間にそれは見えた。
それは高い柱のように見える。
確かに柱ではあるが、ただの柱ではない。
大海原を航海するための柱である。
そしてその柱は、一本ではなく、無数に見えた。

「イスファニト軍……か?」
「はい、でしょうね」
 
ゼファールの呟きに、カトーリアが相槌を打つ。
エルフォの街は、かつてはイスファニトの水軍の西アードリア湖における中心地だったことがあるらしいが、今は駐屯していない。
となれば、あれはやはり、ゴフェルを迎えにきたのであろう。
帆は畳まれている……となれば、接岸していることは間違いない。

「……ルトレア、提案がある」
「なんでしょう?」
「その前に聞くが、ここからあそこまでこのまま三人で行く手段はほとんどないと思うが、どうだろうか?」

ゼファールの問いに、カトーリヤはしばし考え、

「無理です」

 とあっさり言った。

「屋根を伝っていければいいのですが、残念ながら私は飛行するための呪文は知らないですし……」

そう言って、カトーリヤはゼファールを見る。

「組み立てられないことも無いが……たとえ向こう側の屋根まででも、3人運ぶのは無理だ」
「では地面に降りるしかありませんが、彼らは騎兵です。馬より速く走れると言うことはありません」
「その通り。そこで、だ」

ゼファールが相槌を打ち、

「ルトレア、ちょっとあそこまで行ってそこの将軍に、ここまで"迎え"を寄越すよう言ってきてくれ」

と軽く言った。
カトーリヤは目を剥いて(ゴフェルはまだ荒い息を吐いており、何の話をしているかわからない様子だ)、

「……ゼファールさんとゴフェルを置いてゆけ、と?」
「戦略的撤退、というやつだな」
「ゼファールさんにあれだけの昏人を一人で支えるのは不可能です」
「不可能じゃない、と言いたいところだが、まぁ、無理だな」
「じゃあ……」
「ルトレアがいても無理には違いない。さっきのはまぐれだ」
「………」

カトーリヤが押し黙る。
ゼファールは続けて、

「……イングアルトが来れば話は別だが、ゲティオを見たろ? イースリースは自力で立てないほど消耗しているはずだ。イングアルトがイースリースを置いて来るわけも無い。おそらく、担いでくるだろう。とすれば、まだまだ時間がかかる。それにどの道から来るかも分からない。一方、船は近く、お前が行かないと、こちらがどこにいるか分からない」
「……それは、そのとおりですが」

なお言い募ろうとするカトーリヤを、ゼファールは手で制した。

「光で知らせようかとも思ったんだが、今日は曇りで光の属性は動かしづらい。そもそも、見てくれるかどうか分からない。そういうわけで、より正確な方法を取ろうと思う」
「……私たちが2人で無理なのを、貴方一人でやるんですか? 絶対無理です。ゴフェルが連れ去られるのが目に見えてます」
「なら……俺も一緒に戦ってやろうか?」

声は横手からした。

「イシスダードか!」
「うーっす」

「よいしょ」という掛け声と共に屋根に登ってきたのは、長身の男だった。
ゆうに1.2ラール(約1.8メートル)を超えているだろう。
髪は黒で、短めに切り揃えてあり、目は鋭く凄みがある。
背中にはかれの身長ほどではないが長く、彼の体格ほどではないが肉厚の剣を背負っている。
単細胞でちょっと間抜けだが頼りになるやつ(ゼファール評)、それがイシスダードである。

「どうしてこんなところに?」
「その声は、ルトレアか?」
「いいえ、カトーリヤです」
「………ま、まぁともかくだな、簡単に言うと、凄い震動がしたから窓の外を見てみるとお前が屋根の上で戦っていたのが見えたから、血が騒いでな」

 ニヤリ、と不適に笑いながら、イシスダードは言った。

「……だ、そうだ。ルトレア…」
「カトーリアです。いい加減にしてください」
「…カトーリヤ、君が出来ることは一つだと思うが?」
「………仕方ありません」

後ろに昏人が上がってきたのを確認して、カトーリヤが折れた。

「くれぐれも、ゴフェルをお守りください」

 カトーリヤが言った。

「なるべく早く頼む」
「同じく」
「なんかよくわからないデスが、頑張ってください」

「では、幸運を祈ります」

言って、カトーリヤが消えた。
それを確認して、ゼファールは隣のイシスダードに言う。

「さて、イシスダード、もう後には引けないぞ?」
「乗りかかった舟だ。……近頃暴れてなかったしな」
「そこか……」

言ってる間に、徐々に屋根の上で昏人どもにより包囲網が完成しつつある。
ぽつぽつ、と雨が降り始めた。
次第に、本降りの様相を呈してくる。

(イシスダードは確かに強い……だが、イングアルトほどではない……。力はあるが、急所を確実につけない。となると俺も全力を出すしかない……)


今や、包囲網は完成した。
ゴフェルを護るように、イシスダードとゼファールがゴフェルを挟んで、背中合わせに立つ。
対するは、40に近い昏人ども。
ここにおいて、ようやくゼファールは鞘から剣を抜いた。
中程度の長さの魔力剣は、ゼファールの魔力により緑白色の輝きを放っている。

(鞘が重い……それにしても、やつらが飛び道具を使う心配が無いのが助かる……)

ゴフェルに当たっては元も子もない。
言い返せば、そこが数と装備で勝る彼らの弱点である。

「イシスダート」
「ん?」
「幸運を祈る」
「お前もな」
「大丈夫です、四葉がついてれば、兄チャマにもイシスダートさんも、幸運だらけです!」

気丈にゴフェルが言った(ゴフェルはまだ、どういうことなのかピンときてない様子だが)。
ゼファールとイシスダードの表情から笑みがこぼれる。

消耗するのが先か、味方が来るのが先か。
またもや、戦いの火蓋は切って落とされた。


7

先制することこそ、主導権。
彼女に教えられたことを、ゼファールは剣を天に掲げて実行する。

「アエセレカ・ケイワズ、イリシリル・クァル・エーァラ、ワル・ル・テュール・カギルァグ、モーリア・ウ・クァーガル・トーン・コドウール!」
《天空より舞い降りし、聖なる風よ、我が剣に宿り、悪しきを砕く槌となれ!》

剣をさっと振り下ろす。
旋風が踊り、正面にいた昏人の何人かを弾き飛ばす。

「うぉぉぉぉ!」

一方、イシスダードは果敢に突っ込み、大剣を自在に振り回す……鎧ごと分断しそうな大剣に、思わず後退る昏人の騎士ども。
呪文をかわした騎士の一人が、ゼファールに襲い掛かる。
上段を凪ぐ一撃をしゃがんでかわし、呪文を唱えつつ、もう一人が上段からから竹割りに振り下ろしてくるのを受け止め、

「ワル・ル・デュクレズ・カギルフ、トール・ル・スリサーズ!」
《我が手に宿るは、トールの雷!》

鎧に手のひらを押し付ける。
バチィ、という凄まじい音がして、昏人に電撃が走る。
鎧を着ていても、これには耐え切れない。
後ろから突っ込もうとしてきた騎士に、電撃で失神(悪ければ絶命しているが)した騎士を押しやる。
慌ててそれをかわす騎士……隙だらけのその横っ面に思いっきり魔法剣を叩きつければ、雨で滑りやすくなった屋根の上で止まることは不可能で、転がり落ちるしかなかった。
ゼファールはそれに構っていられない。
横から突き出された槍の一撃をかわし、剣を一閃させてその先を断つ。
その騎士を突き落とそうとしたところで、ゼファールは慌てて飛び退る……次の瞬間、ゼファールが先ほどまでいた場所が大槌によって打ち砕かれる。

「なんつー危ないことを!」

ゼファールは剣を構えなおす。
そこへ二刀流の軽装の昏人が突っ込んでくる。
右からの一撃を剣で受け止めると、瞬間左からもう片方の剣によって斬撃が放たれる。
ゼファールはそれを鞘で受け止め、予想外の受け止め方に狼狽している男の首を強かに鞘で打ち据え、気絶させる。
そこへ突っ込んでくるのは、先ほどの槌使いと、イシスダードに勝るとも劣らない巨漢の騎士だ。
横殴りの槌を、敢えて前に飛ぶことで柄を切り、武器を無力化させ、大剣使いの一撃を紙一重でかわし、振り下ろされた剣に魔力剣を当てて、再び電撃の呪文を紡ぎ、無力化する。
そこへ、投げつけられる棒切れ……槌だったものだ。
槌使いが巨漢を生かしたタックルを仕掛ける。
寸前まで引き寄せ跳躍、元槌使いの後頭部を踏むことで、屋根と接吻させ、ゼファールはその横に華麗に着地した。

(まだ、6人か……!)

荒い息をつきながら、ゼファールはげんなりと思った。
全力を出しすぎた……正直、腕が重い。
そこへ、さらに手斧を両手にもった騎士が突っ込んでくる。
ゼファールは少し後ろに避けると、ごぅ、と唸りを上げて、斧はゼファールの眼前を通り過ぎた。
斧使いに対処しようとして、ゼファールはその後ろから矛を持った軽装の昏人が機会を狙っているのが分かった。

(させない……)

ゼファールはスッと相手の側面を潜り抜けると、まさか自分を狙いに来るとは思っていなかった矛使いの鳩尾に強烈な蹴りをかます。
ゼファールの脚に、金属を蹴る手応え……だが、効いてないわけではない。
矛を引っ手繰ると、すかさず、斧使いの脚を払う。
斧使いにこれをかわす術はなく、あっさりと屋根の上を転がり落ちていった。
ゼファールは矛を片手に保ったまま、再び間合いを取り、ゴフェルの傍へと戻る。

「あ、兄チャマ、大丈夫ですかッ?!」
「もん、だい、なっ、い……」

ありすぎだった。
もはや身体は限界で、体力を回復せねばまずい。
イシスダードはどうであろうか。
ゼファールがちらりとイシスダードを見ると、彼もゼファール同様、肩を大きく揺らして、息をしていた。

(まずい……)

これでは、援護が到着する前に、体力が切れてしまう。
と、目を逸らしたのは一瞬であったが、その瞬間にゼファールに向けて、何かが飛来する。
慌ててかわそうとするが、避けきれずに右肩へとそれは突き刺さった。

「! …ッ!」
「! 兄チャマ?!」

投げナイフだ。
固定標的、しかも目線を逸らしているとなれば、ほぼ間違いなく当たるのは当然だった。

「心配ない」

ゼファールは気丈に言い放ち、右肩からそれを抜く。
激痛が走ったが、いい刺激になる……とゼファールは強がりを思った。
正直、雨水が凄い沁みて、痛い。

「お返しだ」

 ゼファールは投げナイフを投げ返す。
 真上に向かって。
思わず、ゼファールに注視している騎兵たちはそのナイフを目で追いかける。
瞬間、ゼファールが走る。
一番手近な騎兵の足を掬い、二番目の男の頭部に思いっきり剣の柄頭を叩きつけて倒すと、投げナイフを投じた男へ間合い外から矛を投げて、討ち取る。

(3人……)

再び、ゴフェルの元へ舞い戻る……右手が、だらりと垂れ下がる。
流石に、痛い。

(もはや、限界……)

最後の策だ。

「……イシス、ダードっ!」
「……なん、だ!」
「やつらの馬を使おう!」
「!!!!」
「そりゃいい」

慌てて馬を確保しようとする昏人どもにイシスダードが一気に突っ込み、血路を開く。
ゼファールが叫ぶ。

「飛べ! ゴフェル!」
「アエセァラ、ワレズ・レネー・ル・アス・シェダウール」
《天よ、我に純白なる翼を与えたまえ》

ばさり、とゴフェルの背に純白の輝きを放つ四枚の翼が出現する。
普通は2枚なのだが、なぜだかゴフェルには4枚の翼が出現するのだ。
当然、飛翔能力も強い。
ゴフェルが手を伸ばす。

「兄チャマ!」
「…!」

ゼファールは無言でその手をつかみ、二人は宙に舞った。
無論、この姿勢は非常にゴフェルに対して負担がかかる。
ゼファールの重性をゴフェルが操っているわけではないからだ。
ゼファールはすぐにその手を振り解き、

「デーラドル クラドゥール」
《緩やかに解除せよ》

中空から一気に地面に着地する。
その横にゴフェルが着地し、イシスダードも飛び降りてくる。
が、昏人の反応も早かった。
馬を捕まえる前に、まだ残っていた30余名が3人を取り囲む。

「賭けは、失敗か……?」
「まだ、だ」

イシスダードの言葉に、ゼファールが首を振る。
2人とも息が荒い。
だが、決して諦めはしない。

(諦めるのは……)

死んでからでいい。
いや、死んだって諦めない。
ゼファールは思い、突き出された槍を打ち払った。
と、そのとき、上から騎士が三人の間に飛び降りてきた。

「きゃあっ!」
「しまった!」

 ゼファールはゴフェルの元に再び戻ろうとしたが、正面から槍や斧や矛といったもので牽制されて戻れない。
 イシスだー度も同様で、自分のことで手いっぱいだ。
 そうこうしているうちに、ゴフェルは捕まえられてしまった。

「兄チャマっ!!」
「ゴフェルっ!?」

そして、囲みの外へと連れて行かれていた。
あわてて、そちらへ駆けつけようとするが、他の昏人がありとあらゆる武器を以って、それを阻む。
焦りが余裕を無くし、無くなった余裕が思考を鈍らせ、鈍くなった思考がいっそうの焦りを生む。

「兄チャマ! あ、兄チャマァ!!」
「ゴフェル!! ……くそっ、退け!」

ゴフェルが叫ぶ。
ゼファールが剣を振り回すが、彼らは遠巻きにゼファールを牽制するだけで、あえてかかってこようとはしない。
馬に乗せられ、そして馬が走り出す。
もはや、なりふりに構っている暇は無かった。
覚悟を決めて突っ込もうとしたとき。
光線が走って馬に直撃し、騎手、そしてゴフェルが振り落とされる。

「ゴフェールッ!!!」

おもわず、悲痛な叫びを上げるゼファール。
そこに、疾風をまとって、いや、疾風すら置き去りにするかのようなスピードで影が走り、地面にぶつかる寸前でゴフェルを救い上げ、そのまま、少し走って止まった。

「……やれやれ、ですわ」

 影はそう言って、ゴフェルを地面に立たせた。

「ゼファール、情けないですわよ。私がいないと、ダメなんですわね」

と、嬉しそうに、待ちに待った応援……イングアルトが言った。
さらに逆側からは、

「ゼファールさん、お待たせしました」

 というカトーリヤの声が聞こえて来、そのカトーリヤの後ろをイスファニト帝国の旗印を掲げた兵団が追ってきていた。

「さて、ここで問題だ」

 壁にもたれながら、ゼファールは言う。

「このまま、あくまでゴフェルを求めて討死か、それとも兵を引いて生き残っているものだけでも助かるか……選択次第で、運命は変わるぞ」
「違いない」

リーダー格の男が一歩踏み込んで、そう言った。
ゼファールは、初めて昏人が言葉としてしゃべったのを聞いた。

「我が名はトリヤヌス。再び、見えることもあるだろう。汝、名はなんと言う?」
「ゼファール」
「イシスダードだ」

 傷だらけの少年たちは、不敵に微笑み返した(実は、一歩も動けないが……)。

「憶えておこう……退くぞ!」

 トリヤヌスが言うと、騎士たちはすばやく馬に乗り、元来た道を戻りだす。
 
「なんとか……助かったよ」

ゼファールは近づいてきたカトーリヤと華月に、そう返して……気を失った。

9

「あら……ゼファール、イシスダード」

 華月が近寄って、壁にもたれかかったまま、気を失っている二人の顔をつつく。
返事が無い……屍にはなっていないようだが……。
華月は何の反応も無い二人に興味を失ったようで、カトーリヤに手を上げて応えてから、その後ろにたたずむ少女に話し掛ける。

「久しぶりね、春歌」
「お久しぶりですわ、姉君さま」

 春歌、と呼ばれた少女が返事を返す。

「単刀直入だけど。カトーリヤからエルフォの街の状況は聞いた?」
「いいえ? 何のことですか?」
「昏人10000の軍勢がすぐまで迫っているとのことですわ。貴方、どれだけの勢力をもっていらして?」

 華月の問いに、春歌は少し考えて、

「そんなに多くは……一万の兵から、エルフォを護りきるには全然足りません」
「そう……」

今度は華月が考える。
華月は戦術にも優れており、戦の機微に関して非常によく知っている。

「なら、エルフォ市民をゼヘイシールまで集団で避難させるよう指示を出してくれるかしら? 然る後、ゼヘイシールからエルフォを奪い返しますわ」

 ゼヘイシールは、アードリア湖岸の街で、エルフォのかなり東にある。
エルフォと比べても格段に大きい都市だ。

「姉君様の仰るとおりにしますわ」
「よろしく」
「イングアルトさん……」

ゴフェルが話し掛けた。
華月は振り向き、

「何かしら? 四葉」
「いったい、どういうことですか? 何がおきてるですか?」
「………」

ゴフェルの問いに、華月はしばし沈黙せざるを得なかった。
告げるのは簡単だが、時期を選ぶ必要がある……無論、必ず言わなくてはならないのだが……

「ゼファールがおきてからではダメかしら?」
「……分かりました、必ず」
「えぇ……と言っても、春歌の方がよく知っているのですけれど……」

華月はそう言って、四葉に背を向けた。


昼頃、エルフォ市のほぼ全ての市民が故郷を出た。
もはや帰って来れないかも知れない……という思いを抱きつつ。


「……うん……」

 ゼファールが目を覚ますと、そこは見慣れぬ木作りの一室であった。
 煌煌と、天上に吊り下げられたランプが揺れている。
 世界が揺れているのは、まだ頭がはっきりしないせいだろうか?

「あ、兄チャマ! おはようございマス! ……ってもう夜ですけど……」
「おはよう、ゴフェル…ここは?」

 ゼファールが尋ねた。

「イスファニト帝国水軍のおーっきな船の中です!」
「……船?」
「はい!」

 ……どうやら、夜まで眠っていたらしい。
 ゼファールは起き上がり、大きく伸びをした。

「……ふぁ……」
「あら、起きましたわね?」

 扉が開いて、華月が姿をあらわす。
 相変わらず、巫女衣装で長い髪をなびかせながらこちらにやってきた。
 その後ろから、イースリース、ルトレア……そして、見慣れぬ女性がその後に続き、最後に白髪の老人が続いた。

(……多いな)

呆気にとられているゼファールに、老人が会釈する。
慌ててゼファールが会釈を返す。

「ようこそ、ゼファールくん。イスファニト帝国屈指の戦艦『海の刃』へ。私は艦長のストレディンドです。当艦は君を歓迎するよ」

はっきりとした声で、その初老の男性……ストレディンドが言った。

「あ、はい、どうも……こんな格好で申し訳ありません」

 寝間具である非礼をゼファールは詫び……誰が着替えさせたのか気になったが、華月がニヤリ、と笑ったので………聞かないことにした。

「とんでもない。こちらが邪魔したのだからね。まぁ、イリルガルドにつくまでそれなりに時間がかかる……当艦を自分の家だと思ってくつろいでくれれば幸いだ。……まぁ、今日のところは、君も病みあがりだし、この辺で立ち去るよ」

そう言って、ストレディンドが立ち去る。
それを見送った後、見慣れない少女がゼファールの前に立った。
長くつややかな黒髪が、華月と同じく腰の辺りまで伸びている。
華月より若干背は低い。年も恐らく下だろう。
少女は大きな眼をゼファールに向けて、口を開いた。

「ゼファールさん、お久しぶりですわ」
「……えっと? 誰?」

ゼファールがそういうと、少女はその場に崩れ落ちた。

「そんな……まさかワタクシをお忘れになるだなんて……」

よよよ、と口元を手で覆う。
慌てるゼファール……からかいがいのある人だ…。

「まぁ、ゼファールったら、昔の女はすぐに捨てるのかしら?」
「ひ、人聞きの悪いこと言うな、華月」
「ゼファールさん……」
「………」
「……い、いや、イースリースとカトーリヤはどうして俺をそういう目で見る……?」

ゼファールがいちいちまじめに応える……完全におもちゃだ……大変だなぁ。
ゴフェルが、助け舟を入れる。

「冗談が過ぎるデス……」

 じとー、っと四葉が視線を送る。
 春歌と呼ばれた少女は、ぽっ、と顔を赤らめ、

「申し訳ありません……ゼファールさんが余りにも変わりないものですから……つい」
「フフフ、春歌も変わっていませんのに…」
(春歌……? エウロス・クロ・オウス……? ……!)

ゼファールは合点いった、というように頷いて、

「エウクロスか! 思い出した。……変わってないことないだろ? 随分と、……変わっているじゃないか。……しかし、どうして?」

ゼファールはそこで疑問をぶつける。
エウクロスはあっさりと答える。

「実は、ゴフェル様を迎えに派遣されたのが、ワタクシですわ、ゼファールさん」
「……エウクロスが?」
「そう、ワタクシが、です」

ゼファールは頭の後ろをかきながら、

「出世したんだな…」

と呟いた。

「ま、それはともかく」

ゼファールはしきり直して、

「どういう状況を経たのか、教えてくれない?」


「なるほどね……もう、エルフォの町は遠いんだ」
「えぇ、既に遥か東の海」
「呼びました?」
「いいえ? ………そろそろ時間も時間ですわね」

 華月が言う。

「今日はもう休みますわ……それじゃ、お休み」
「お休みなさいです」
「お休み」

 華月に付き従って、静雪も部屋を出てゆく。
 春歌も立ち上がる。

「それじゃゼファールさん、また明日…」
「あぁ、お休み」

春歌が出て行って、四葉とゼファールだけになる。

「………」
「………」

沈黙が続く。
だが、気まずいわけではない。
ゼファールが口を開きかけたとき、それよりはやくゴフェルが口を開いた。

「あ、あのね、兄チャマ……今日は、一緒に寝てもいいかな…?」

 上目遣いに、ゴフェルが尋ねた。
はっきり言って、狼狽した……くそぅ、こんなに可愛いかったか!?
ゼファールが応えられないでいると、俯いたゴフェルの肩が震えているのが分かった。

「…ゴフェル?」
「すごく、怖いです……」

 ゴフェルはゼファールの顔を見上げて、

「よくわかんないの! どうして、エルフォに住んでいた四葉がイリルガルドなんかに呼ばれるのっ? 昏人たちがどうして四葉を狙うのっ?! ……怖いデス…」
「ゴフェル…」
「兄チャマしか信じれる人がいないんだ、って気づいたの、だから……兄チャマが近くにいるんだ、ってことを感じたくて……」
(だから、今日くらいは……)

四葉の内心の不安が良くわかった。
はっきり言って、ゼファールも帝都に戻りたくない。
父や姉が考えてることが分からないし……本当の兄妹ではない四葉の気持ちが、今や誰よりも共感できるようになっていた。

「……あ、あぁ、……いいよ」

内心の動揺が悟られてないだろうか、ゼファールは言った。
その返答に、ゴフェルは少し翳りのある笑みを浮かべ、

「ありがとう、兄チャマ」

と言い、ゼファールにしがみ付いて、嗚咽を漏らす。
ゼファールはその肩を抱いてやることしか出来なかった……。

[後記
来年の四葉誕生日に続く
はっきりいって、勢いに任せて書いたので、文法等いろいろ間違いはあると思いますが、指摘はしても責めないでいただけると・・《微妙
]


(それがどうして……)

「……チャマ! 兄チャマ!!」
「うーん……ゴフェルぅ……」

ベッドの上で、ゼファールは唸った。

(あれから3日経った今……、船酔いで命を落としそうな俺っていったい……)
「ファイトです、兄チャマ! もうすぐアードリア湖の東端だって春歌ちゃんが言ってました! もう少しで、イリルガルドよっ!」

 元気良すぎる……ゼファールは思った。
 つい先日まで、あれだけ元気が無かったというのに。
 今も空元気なのだろうか?

 だがしかし、船酔いの病人に対してこの明るさ……ちょっと、酷いと思うのは、俺だけか? と後にゼファールは語ったらしいが、その話やゴフェルの話、また帝都イリルガルドで起きたことについては、明くる年に話そう。

『ゴフェル V』へ続く
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